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国家が人を殺してもいいのか論
2009年2月21日
常日頃気になっていることをひとつ。
死刑廃止議論の中で、よく出てくるのがこの言葉です。
『国家が人を殺してもいいのか』
この言葉に疑問を感じます。
国家と漠然と言いますが、『死刑』という『制度』は立法府が定め、
司法がそれを運用しているわけですよね。
それに行政が実務上かかわっているわけです。
立法はもちろん、司法も行政も、国民の総意や、社会の総意で意思決定される
わけですから、その総意があって死刑という制度が維持されているわけです。
何がいいたいかというと、『国家が人を殺す』という言い方は、制度の問題を
イデオロギーの問題に摩り替えてしまっています。
『死刑制度を廃止する』という目的があって言っているとすれば、
『国家が人を殺してもいいのか』という言葉では、死刑制度廃止に向かわせる
ことは出来ないだろうと思うのです。
正常な社会を維持するための制度をどうするか、という議論を、国家がどうの、
という矮小なシンボルに置き換えることは、決して得策ではないと思います。
それから、ちょっとイデオロギー論に踏み込んで、なぜ得策で無いかを、
世代間ギャップという面で言うと、我々より上の世代が言う、
『国家憎し』『日本悪し』の考えは、我々世代はその世代ほどなじみません。
なぜなら、我々の世代から見ると、上の世代は高度成長期という時代に恵まれて、
全員が勝ち組の安住の上にいます。(あくまで一視点としてです。)
我々の世代にしてみれば、新卒が金の卵といわれて大半が終身雇用の職を
得られて、なんていうのは夢のまた夢の話です。
また、上の世代は海外の情報を、ある程度フィルタリングされて得ていました。
それに対し現在では、かなり直接的に、また身近な分野で、海外の脅威を感じる
機会が増えています。
例えば経済的な情報にしても、昔であれば、GATTがどうとか、せいぜい
牛肉オレンジがどうとかという程度の情報しか一般の目には触れません
でしたが、今ではシャープの液晶パネルがどこのメーカーと競合してる、とか、
PCのネットワークゲームのシェアは、どこの国のものが大きいとか、その個人に
とって身近な環境において、決して国産が優位にいるわけでは無いと、じわりと
気付かされる機会が増えているわけです。
ですので、『そんなこと叫ぶ前にやることがあるだろう』と、どうしても思って
しまうわけですね。
右派である、左派である、ということを言いたいわけではありません。
ここを取り違えないでくださいね。
言いたいのは、『(悪者である)国家が(弱い国民である)人を殺す』という
スローガンの構造が、今の世代の心には刺さらない、あるいは刺さりにくい、
ということです。
もっと言えば、制度問題をイデオロギー論に置き換えて人々の共感を得る、
という手法が、通じにくい時代になってきたのではないかということです。
逆に言えば、我々の上の世代においては、イデオロギー論を切り口にした懐柔が
効果的な手法であったけれど、その有効性が普遍ではなかった、ということかも
しれません。
投稿者 senshu : 2009年2月21日 14:53
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