TI千秋の未来永劫適正価格で囲い込み:2009年6月分
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具体性と自己評価と自分の将来
2009年6月30日
まだ続けますが・・・
自己評価をする場合、自分の将来を考える場合にも、やっぱりこうした具体性は
必要なんですよ、ということについて。
そして、その『具体性のある自己評価』は、立ち居地が変わると、例えば事業主に
なる前と、なった後とでは、まったく意味合いや必要なものが違うんですよ、という
ことについて。
・・・って、文章がおっさんですが。。
事業主になるための準備段階のときは、資格の数、資格の種類は、具体的な
自己評価として考えることが出来ます。
例えば行政書士の資格を得ることが出来た、司法書士の試験に受かった。
でも、立ち居地が変わって、事業主になった瞬間、この自己評価は意味を持たなく
なります。
変わって意識すべき自己評価の基準は、
・顧客が増えたかどうか
・売り上げが上がったかどうか
・提供できるサービスが増えたかどうか
などなどです。
先月は顧客が5人だったけど、今月は顧客が8人に顧客見込みが6人、などは、
自己の評価として意識するべきことだと思います。
このときばっさり捨てなければいけないのは、ちょっと前まで自己評価の大きな
ウェイトを占めていた、『自分が何の資格を持っているか』ということ。
これは自己評価の軸としてはばっさり、本当にきれいさっぱり捨てなければ
いけません。
なぜか。
それは、開業すれば『行政書士の資格を持っているのが前提』の業界に立ち居地を
移動したわけですから、それは何の役にも立たない評価基準です。
ここから必要なのは、前記のとおり、顧客がいるか、売り上げが上がるか、自信を
もって顧客に営業できるサービスがあるかどうか、です。
この自己評価基準の切り替えが出来ないと、『行政書士で食えないから社労士も』
という、学生のような自己評価で、実社会の中であえぎ続けることになって
しまうのです。
パスポートは二ついりません。
一人の人間に必要なパスポートはひとつだけです。
資格の追加が、『提供できるサービスの増加』になるのでは?と思われたとしたら、
それは違います。
野球をやってみてだめだった人がサッカーの道具を買い揃えるようなもので、
本当の意味で提供できるサービスが増えたわけではありません。
必要なのは種目を増やすことではなく、足が速くなるように、ボールを正確に
コントロールできるように努力することですよね。
野球のグランドに立つために道具を買い揃えていた時期、行政書士の業界に
立つために資格を取ろうとしていた時期とは、立ち居地が違うんです。
私のような経営者プログラマーも同様で、仕事を請けられるようになるまでは、
まずはプログラムの腕を磨いてソフトウェアが組めるように努力しますが、
自分の制作会社を経営し始めたら、プログラムが組めるのはもうただの前提
条件で、そこからいかに顧客に付加価値をつけて提供できるか、それが自己評価の
基準になります。
『俺はプログラマーになって起業してホームページも立ち上げたのに
お客がこなくて食えないのは何でだろう』
なんて言ってたら間抜けですよね。
その上、
『プログラマーだけじゃ食えないんだ。だったらデザイナーにもなろう』
なんて言い出したら、本当にこの人大丈夫かなと思いますよね。
ということで、結論としては、
『具体性』のある自己評価は必要だとしても、立ち居地が変わると、必要とする
その『具体性』の軸がまったく変わってしまうことがあります。
それをちゃんと認識しましょう、ということ。
それと同時に、考える将来像も、必要とされる具体的な自己評価の変化に
合わせて、当然描きなおさなければなりません。
行政書士になるまでは、『将来行政書士になってバリバリ働くぞ』という将来像で
よいのですが、行政書士になったら、
『○ヶ月内に○件の仕事を取りにいって、○年後には○件の顧客を持つ』
という様にです。
いまさらながら、具体性の話は結構面白いですね。。
自己満足ですが(笑)
投稿者 senshu : 17:00 | コメント (0) | トラックバック
具体性と成功事例と手に職
2009年6月29日
意地になって続けますが・・・
一時期のITバブル当時は特に顕著でしたが、どうもテレビや雑誌などで取り上げ
られる、一般的な『成功事例』というものが、独立志向の人に変なイメージを与えて
いるように感じられます。
代表的なものは、『ライブドア』と『楽天』でしょうか。
なんだか実態はわからないけどITってやつで新規事業を立ち上げるたびに
株価が上がって大金持ちに、みたいな話です。
あれは、極々特殊な事例です。
ほとんどの経営者は、何かしら手に職を持っています。
私であればプログラミング。
ここのはやっさんであれば、情報の収集、整理とそれをもとにした訴求の技術。
サーバの設備関係をやっているとある私の友人は、社員が一人もいなくても
データセンターなどのネットワーク設備を準備できるといっています。
何かしらの、具体的な技術や、具体的にお金を生む、日当や報酬を得ることが
できる商品を持っています。
手に職をつけろ、というと、例えば左官の技術を持つと、一生時給仕事の壁塗り
しか出来ないように思われるかもしれません。
特に、一時期は『手に職をつける』ということが、まるで高度資本主義経済社会での
敗者のように言われました。
でも、建設業の一職工として社会に出て、思うところあって独立し、経営者として
大成功の道を歩んでいる人を何人も見ています。
そういう人に共通していると思われるのは、ある技術については人に負けない
腕を持っていて、その確かな自分の位置づけを軸に、実によく周辺を見回して
仕事をしている。そして、目に見えない需要を見つけることができる、という感じ
かも知れません。
手に職を持っている重要な点は、おそらく次の2つだと思います。
ひとつは、確かな技術を持っているから、仕事の一部分の担当者として、重要な
仕事に参加させてもらうことが出来る。
もうひとつは、自分の仕事を軸として、周辺を見渡すことが出来る。
例えば、資格を取っただけの行政書士がいたとします。
また、資格は何も無いけどウェブサイトはきっちり作れる技術をもったデザイナーが
いたとします。
行政書士だといって、会社のコンサルティングをさせてほしい、といったところで、
誰も使ってはくれません。
でも、たまたまその会社がウェブを作ろうとしていたところに、ウェブデザイナーが
営業に行って、ウェブサイト制作の仕事を請けたとします。
そうすると、その会社のウェブを作るために、会社の基本情報から、会社の実績、
経営者の理念、経営者が持つ将来像などのヒアリングをすることがあるでしょう。
ウェブサイトを作るデザイナーの姿勢が経営者に評価されれば、今後その会社で
制作する商品のデザインも相談されるかもしれません。
あるいは、そのデザイナー自身も経営者であれば、同じ経営者同士として、さらに
深い相談を受けるかもしれません。
仕事に深くかかわれるようになるかどうか、経営者に強く信頼してもらえるか
どうかは、資格の有無ではないのです。
確かな仕事をする人間であるかどうか、それが重要なのです。
また、自分の仕事を自信を持ってこなせれば、自ずと受け持ち部分以外の
周辺状況が見えてきます。
もともとウェブデザインだけを担当する契約でかかわったとしても、手を伸ばせば
自分の仕事として請け負えるものがそこにあれば、これもうちでやらせてください、
と言って仕事として受注することができます。
行政書士が行う許認可の仕事に関しても、手引きを見ながら穴埋めだけが
精一杯では、こうした周辺を見渡して新たな需要を喚起することもままならない
でしょう。
また長くなってしまったのでまとめると、手に職をつけましょう。
それは資格を取るとは別の次元の話で、ある技術をしっかり身につけ、
ある業界を深く知り、ある仕事を余裕を持ってしっかりこなせるようになる、
ということです。
経営者であれば、誰しも何かしらのことで困ったり、ある分野の専門家を
必要としたりします。
その分野の専門家であることが顧客を得る一番のきっかけになります。
多くの会社から必要とされる分野は、時代とともに変わります。
例えば、数年前ならどこの会社もホームページを立ち上げたため、この分野の
専門家、いわゆるウェブデザイナーが多くの仕事を得ました。
それが需要のトレンドの変化です。
資格業でも、どんな業界でもそのトレンドの変化はあります。
手に職をつけること。出来れば、そのトレンドをはずさない職をつけることです。
投稿者 senshu : 16:05 | コメント (0) | トラックバック
具体性と自己啓発
2009年6月28日
また具体性についてのあとがきみたいなものです。
自己啓発、という言葉を聞かれることがあると思います。
この具体性のエントリーの書き始めのときにもチラッと触れました。
私の友人や、ちょっと近い仕事仲間の中にも、この自己啓発を商売に
している人もいたり、また、自己啓発セミナーなどに参加してる人などもいます。
そもそも自己啓発とは、wikipediaによると、
『自己をより高い段階へ上昇させようとすることである。
より高い能力、より大きい成功、より充実した生き方、より高い人格などの
獲得を目指す。』
らしいです。
本来の自己啓発というものを、私は知らないのかもしれません。
しかし、私が目にしたことがある自己啓発は、こんな感じ。
異業種交流会の自己紹介などでやたらと大声を出して、情熱がどうのこうのとか
自分を追い込んでどうのこうのとか言っている人のイメージがどうしても強いです。
具体性の無い自己啓発セミナーなどについては、私は否定的です。
大きな声をだして、情熱を持って、決断力をつけて、他人とのスキンシップを大事に
して、、、
確かに、そういうことは一面ビジネスにおいてはとても大切なことかもしれませんが、
どうもこの自己啓発は、その先生が情熱的に、情熱的なコピーを作り出して、
その情熱はそのコミュニティでしか受け入れられない、、、そんな世界を作り出して
いるように思えます。
自己啓発セミナーで学んだ一部は、今度は自分が自己啓発セミナーを主宰する
ようになり、その他一部は先生の信者のようになり、結局自己啓発セミナーに
参加して成功するのは自己啓発セミナーの講師になって、信者を集めること、
みたいなことになりがちです。
もしかしたらこれを読まれている大半の方にはなじみの無い世界かも
知れませんが、個人事業主の集まりや、異業種交流会、セミナーなどなどの
業界では結構よくあることです。
この情熱や思考方法などは、ある種とても特殊なので、他人とは違う自分に
なれたような高揚感があるのかもしれません。
でも、具体的に仕事ができるようになったわけではないですよね。
情熱が動力だとすると、技術という道具が無いと、実社会では活かせません。
エンジンにボディやタイヤなどをつければ自動車になりますし、エンジンに
歯の付いたチェーンなどをつければチェーンソウになります。
でも、エンジンだけいくらでかくしても、出力デバイスが無ければ役には立ちません。
ほとんどの人は、おそらく自分なりのエンジンと、あと具体的なデバイスである、
例えば経理能力だったり、営業力だったり、許認可を処理する能力だったり、
そういった具体的なスキルを持っていて、バランスよく育てていくんだと
思うんですよね。
自己啓発とは本来、そんなバランスの中で、ちょっと成長が滞ったときのカンフル剤
のように、外部的な刺激でエンジンを大きくしようと試みることだと思うんです。
でも、いまセミナー業界や異業種交流会などではやっている自己啓発的なものは、
具体的なデバイスがほぼ何にも無い状態で、エンジンだけ過剰にでかくしようとして、
人としてのバランスを崩してしまう悪い影響のほうが大きいのではないかと思います。
これも、自分のスキルに具体性が無い人ほど、はまるように見えます。
『資格を取れば人生うまくいくはず。』
そんなことでは全然準備が足りないことは前に書きました。
ほとんどの人は、そこで現実に気づかされます。
でもそんな時、一部の人はこう声をかけられて、取り込まれてしまいます。
『君が成功しないのは、まだ情熱が足りないからだ!
自己を律することができないからだ!
私たちと一緒に自分を高め、より崇高な自分になろう!』
こんなことに引っかかるか?と思われるかもしれませんが、結構簡単に
引っかかるんですよね。
ただ経験上、こういう方向に進みがちな人に、
『足りないのは営業力と信頼を得るための実績だよ。』と言っても、
たいてい聞き入れてくれません。
人によって違うかもしれませんが、あせりや思い込み、一発逆転したい気持ち、
めんどくさいことはやりたくない気持ち、そんなものが冷静な判断をさせないのかも
知れません。
そして、他人を評価するときにも、具体性をもてない傾向が強い気がします。
普通でしたら、あの人は経理ができる人、あの人は顧客の対応がうまい人、
あの人は技術がすばらしい人、という具体的な指標を持って他人を評価する
ものですが、
『あの人は覇気が無い(けど自分は違う)』
『あの人は愛情が足りない(けど自分は違う)』
のような他人への評価を下しがちな印象を受けます。
これも具体的な知識の無さ、具体的な経験の少なさなどからくるものかも知れないと
思っています。
長々と書き散らかしましたが、何を言いたいかというと、
『具体性をもてない人、具体的な知識や経験の積み重ねを軽視する人ほど、
漠然とした自分の理想像を追いかける傾向がある』気がする、、、ということです。
もし個人事業主として開業してみて、なかなかうまくいかないとき、例えば異業種
交流会みたいなところに行って、『君に足りないのは自己研鑽だよ』といわれたら、
このエントリーをちょっと思い出してください。
投稿者 senshu : 19:23 | コメント (0) | トラックバック
具体性についてのあとがき
2009年6月26日
ずっと書きたいと思ったことをちゃんとまとめて書いたつもりでしたが、いやあ
見る見る閲覧数が減っていきました。
というか、一日10人ぐらいのブログなのに、さらに減るって・・・(笑)
きっと近いうちにはやっさんがメルマガで宣伝してくれるはず!
何で具体性についてのことを長々と書いたのかというと、ここのところずっと考えて
いたことと、あと、ちょうどいいきっかけがいくつかあったからです。
で、つまるところ、具体性を持つというのは、『大人になる』と言うことなんじゃないかと
思うわけです。
子供のころの、若いころの、漠然とした夢を捨てて、現実を見るということ。
そこでいくつかに分かれると思うんです。
若いうちの漠然とした自己の理想形と、現実のギャップ、それを頭の中で整合性が
とれずに夢を捨ててしまう人。
例えば、パン屋になりたいと子供のころに思っていたのに、店舗を出すのはお金が
たくさん必要だし、パンを作るためにはなんだか勉強しなきゃいけないし、材料を
どこから仕入れればいいか分からないし、毎日ヴィドフランスに並んでるような
種類のお惣菜パンを作るなんて途方も無く思えるし・・・
と考えるタイプですね。
次に、若いうちの夢を現実に照らし、そのイメージを修正しながら具体的な課題を
クリアして現実の夢をかなえよう、という、大人になる人。
パン屋になるには店舗を出すお金をためなければいけない。
最小限に抑えるには、立地が制限されるから、それなりに話題性を持たせて
集客力をつけなければいけない。では、その集約力は○○から学ぼう。
何よりパンを作る勉強をしなきゃいけない。まずは3年間××のお店に就職しよう。
平行して自宅でいくつかの課題をクリアすることを独学で何とかしよう。
そのためにはこれだけの書籍を集めて研究してみよう。
開業前に、材料の仕入先のめどをつけなければいけない。
最低でも、小麦と卵と牛乳と酵母については、早いうちから調べ始めよう。
最初から多くの種類を並べるのは無理だ。だから、最低限販売数を確保できて、
お客さんに喜んでもらえる種類のパンを研究してみよう。毎日買いたいパンを
みんなに聞いて回ってもいいし、サンプルを作って配ってみてもいい。
どうです?
同じ夢でも、捉え方によって、再構築の仕方によって、ずいぶん違うでしょう。
あなただったら、どっちを選びますか?
あるいは・・・
『この店のパンは大してうまくねえ。俺が作ったほうがうまいのになあ。まあ、俺は
店を持ってねぇけど、俺がつくったらこんなもんじゃないぜ』
という人と、
『この店のパンはあまりおいしく感じない。発酵が足りない?小麦が良くない?
でも、具材の使い方は良く出来てる。』
と、短所と長所を観察して自分の知識にしようとする人。
どっちが伸びるでしょうかね。
こんな店のパンはうまくもねえ!と言ってしまったほうが、かっこよく見えるかも
しれないですね。でも、否定癖がついている人は、仕事ではまったく使えません。
そんなかっこつけてる暇があったら、具体的な知識ひとつつける努力でも
してろ、と思いますね。
・・・こんな愚痴がしばらく続きます!
投稿者 senshu : 22:24 | コメント (0) | トラックバック
具体性にこだわるいくつかの理由(7)
もうひとつのまとめです。
『自分のやりたい仕事をする』ことを含めた自己実現について
自分のやりたい仕事ができない、自分は本当はこういう仕事をしたいのにさせて
もらえない。自分が作りたいものはこんなのじゃない、という葛藤に陥ったとき、
ぜひこういう視点で自分を見つめてみてもらいたいと思います。
それは、『自分には、自分のしたい仕事の環境を整える力があるか』ということです。
またまた行政書士と、デザイナーを例に挙げさせてもらいたいと思います。
例えば、行政書士になって、人の役に立ちたい、近所の商店の役に立ちたい、
世の経営者の役に立ちたい、と考えて行政書士資格を取るとします。
たいていの人は、行政書士資格を取ると、それですべての準備が整ったように
考えてしまいます。
でも、、、
それは、『自分のやりたい仕事をできる環境』のほんの一要素に過ぎません。
ここを勘違いしてしまうのです。
これは、デザイナーがIllustratorなどを使って自分のやりたいデザインを制作
できるようになった、ということも同じです。
行政書士にとって、行政書士資格を持つということは、あるいはデザイナーにとって、
自分のデザインができるということは、『自分のやりたい仕事をできる環境』のほんの
一要素に過ぎないんです。
行政書士にとって必要なものが、例えば次の3つだとします。
『国家資格』『集客力』『業務処理能力』
資格として目に見えるのが『国家資格』だけだから、勘違いしてしまうかも
しれませんんが、このすべてがそろわないと行政書士として成り立ちません。
集客力は、何もずば抜けた営業力のようなものを言っているわけではありません。
『近所の人が、何かあったときに頼ってくれる』そういうのも集客力です。
周囲の住人たちとそれだけの信頼関係を築くことは、決して容易なことで無いのは
確かですし、それができるのもある種の努力と能力です。
デザイナーも、いくらよいデザインできるといったって、誰もそんなもの買いません。
まずは自身のデザイン力が、顧客に必要と思わせることができるプレゼン能力。
また、プロジェクトに安心して参加させられると思ってもらえる信頼感。
そもそも、そのプレゼンを行う場をもてるだけの営業力も無ければなりません。
『自分のやりたい仕事をする』
そう思ったときは、その環境を作るために『具体的に』何が必要かを、漏らさず
列挙してみてください。
資格、営業力、処理能力、プレゼン能力、経営力などなど。
そう考えると、自分が持っている能力など、そのうちのほんの一要素に過ぎない
ことがよくわかります。
資格業であれば、資格が必要なことはもちろんですが、その資格を活かした
仕事をするための、その仕事を自分に持ってくるための集客力は、具体的に
自分に備わっているでしょうか。
『資格だけ』では、雑居ビルの2階にパン屋さんを開業して、何も商品を並べず、
「お客が来ればなんかしらパンを焼いて売れるのになぁ」と言っているのと一緒です。
特色のある商品はありますか?そこに客を呼び込む方法は考えてありますか?
「人の役に立つ行政書士になりたい」なんて漠然とした自己実現を、なんとなく
社会が叶えてくれるなんていうことは絶対にありませんよ。
すべては、そこに向かうための、資格、集客、業務処理などの『具体的な環境整備』
にかかっています。
デザイナーさんだって、「自分のやりたい仕事をやらせてもらえない」なんて
言っていられるのは、自分の見えないところで、営業職の人が仕事を取ってきて、
制作の人が納品用に処理してくれている環境の中での甘えではないですか。
営業して仕事を取ってくる。デザインをする。デザインを仕様に合わせて加工して
納品する。
それだけの具体的な環境を整えて、さらに自分のやりたい仕事だけで食べていける
状態を、果たして自分で作ることができるか、具体的に考えてみるとわかります。
長くなってしまいましたが、『自己実現』を考えるとき、『自分の理想的な仕事』を
考えるだけでは全然だめで、『自己実現をするための環境を整える』というのが
最も大切で、とても困難を極める作業です。
その環境とは、営業、処理、経営など具体的な要素の集合ですが、それから
目をそらして、漠然とした自己の理想像だけに目が行ってしまいがちです。
でもそんなことをしていたら、絶対に自己実現などできません。
だから、自己実現のためには、具体的な環境の整備が必要なのです。
ということで、何を熱くなっているんだ、というぐらい書き飛ばしましたが、
飽きもせず『具体性が重要』と言っている本意が少しでも伝わると幸いです。
これで一旦このシリーズは終わりますが、書ききれなかったことをまた
次回以降少し書こうと思います。
感想などありましたら、お気軽にお寄せください。
投稿者 senshu : 12:37 | コメント (2) | トラックバック
具体性にこだわるいくつかの理由(6)
2009年6月25日
具体性とは。具体性を意識するとは。
この一連のエントリーには二つのまとめをしたいと思います。
ひとつは、
・人間の強さと弱さ
という視点から。もうひとつは、
・『自分のやりたい仕事をする』ことを含めた自己実現について
まず、人間の強さと弱さについて。
誰でも、常に痛い思いをしたり、恥ずかしい思いをしたり、もどかしい思いをしたり、
日々そういう思いをさせられる可能性のある中で仕事をし、生活をしています。
間違いをすれば人に責められるし、かといって新しい知識を学ぶにもなかなか
そんな時間を日常にとることはできないし。
そうすると、どうしても現状に合わせて自分を修正したり成長させたりすることより、
自尊心を防衛するという安易な反応にはしりがちです。
それは、たとえ初めは高い意識を持っていた人も、明確な目標を持っていた人も
同様です。
自分の中の理想像はすでに完成してしまっていても、そこまではまだたどり着いて
いない。自分が思う以上に、周りは自分のことを評価してもくれない。
そのうち、自分の理想像すら漠然としたものに変化して行き、具体的なスキルも
具体的な実績も無いのに、自尊心と自己防衛の方法だけは身につけていく。
理想が高ければ高いほど、その自己実現の道が果てしなさ過ぎ、前が見えなくなり、
かえって陥りやすいかもしれません。
また、プライドが高ければ高いほど、人の指摘に素直に応じられず、自分にしか
通じない言い訳でその場をつくろい続けてしまうかもしれません。
あと、怠ける人。
もともとは怠け者じゃなかったかもしれませんが、理想への果てしなさに努力を
拒否するようになってしまった人。
私が、
『自分がどうなりたいかと同じぐらい、気が付けば自分が何であったかを
大切にするべき』
と考える理由のひとつがここにあります。
途方も無い、想像だけの理想像や果てしない夢にに押しつぶされて、
何もできないまま3年間を過ごすのも人生です。
目の前の具体的な課題を自分のやり方を意識して全力でクリアし続けて、
3年間ほど過ぎた後、気がつけば自分に何ができるか、自分が何であったかを
振り返って、次の課題を設定して生きるのも人生です。
私は、自分が本当に何をやりたいのか、自分が何をすべきなのかが明確に
わからなかったため、後者を選びました。
よほど強い人間でなければ、ひとつの夢だけを漠然と追い続けて生きることは
できません。
並みの人間であればこそ、一つ一つの課題を乗り越え続けた先にある、まだ見ぬ
将来を楽しみに生きることもよいのではないかと思っています。
その生き方であれば、強い人間である必要はありません。
ほんの少し、目の前の課題から逃げない、自分の間違いから逃げない、その場
その場でそれができるかどうかです。
人間の生き方、強さ、弱さなんて大それた話のようですが、日々の小さな葛藤が、
つまるところここにつながるのではないかと考えています。
次でもうひとつのまとめを書いて、本当に終わります。
投稿者 senshu : 18:06 | コメント (0) | トラックバック
具体性にこだわるいくつかの理由(5)
2009年6月24日
そろそろこの一連のエントリーもまとめようと思います。
今回は、『具体的な負け』を認める大切さについてです。
人間年をとってくると、どんどん自分の『負け』を認められなくなってきます。
人によっては、若いうちからこの『負けを認められない』ことが癖になっている人も
います。
と、ここまで読んで、違和感を感じた方もいらっしゃるかもしれません。
本来ならば『間違いを認める』と書くのが正しいかもしれません。
でも、頑なになってしまう人にとっては、なぜか『間違いを認める』ことが、
『負けを認める』ことになってしまい、本当に受け入れることができなくなって
しまうんですよね。
『具体的な間違いを認める』ということはどういうことでしょう。
自分の書いた文章に矛盾がある、自分の主張に根拠が無い、自分の作業内容が
仕様と違っていた、自分の方法より他人の方法の方がより優れていた。
これを受け入れて自分が間違っている部分、劣っている部分を精査し、改めて
正解を探し、修正することは、ひとつの『具体的な間違いの発見』と、
『具体的なより良い方法の獲得』をセットで手に入れることができます。
これを、『間違いを認めることは負けを認めること』として、撥ね付け続けていたら
どうでしょう。せっかくの『具体的な経験の積み重ね』を得る機会を失います。
具体的な間違いの指摘を受け入れることができずに、
『俺は昔からこうやって来たんだ』
『お前の言い方が気にいらねぇ』
『そのやり方はわかるけどこれでもいいだろう』
と受け入れなかったり、話をすり替えたり、どうにか自分は間違っていないと
主張したり。
それはくだらない自己防衛ですよね。
ほんとにその場限り、ちょっと自分の自尊心を守るものでしかありません。
他人から見れば、自分の間違いを指摘されたときに、おかしなことを強弁する
ひとよりも、その間違いを聞き入れ、他人に質問し、自分で調べ物をした後に
改めて見つけた回答をしてくる人のほうが、よほど知的で信頼が置けるように
映ります。
また実際、そういう積み重ねをしてきた人のほうが、知的で信頼が置けるのも
確かです。
間違いを認めることの具体性も、重要なひとつだと思います。
『この部分は自分が間違っていた』
『この部分はあなたの方が正しい』
『この部分は私のやり方は人より劣っている』
こうした間違い、ひょっとすると、他人に対する『負け』かも知れませんが、
それを受け入れることは、将来の自分にとってとても重要なことです。
その上、間違えた部分を認めて、それを修正した上で、改めてそれを取り込んだ
全体像を捉えて処理することを繰り返せば、つまらないその場の自己防衛を
繰り返す自分など、すぐに置き去りにできます。
次でまとめます。
投稿者 senshu : 19:57 | コメント (0) | トラックバック
具体性にこだわるいくつかの理由(4)
2009年6月23日
具体性の無さと、ぶれや甘えについて書きたいと思います。
前回までに、具体性の無い理想や具体性の無い自己評価がいかに役立たずか、
ということを書きました。
多くの人は、成長の過程でその現実に直面し、具体性を持つ重要さに気が付き、
自分の理想や自分の夢、自己評価を修正していきます。
そこで夢をもてなくなるのは寂しいですが、実のある夢を描きなおして、その
実現に向けて人生を再構築できるのが理想ではないかと思っています。
じゃあ、その現実に直面したときに、具体性の無い理想や具体性の無い自己評価
から抜け出せなかったらどうでしょうか。
例えば、こんなデザイナーがいたらどうでしょう。
『こんな中途半端な田舎じゃ俺の感性は花開かないぜ。
やっぱり大都会が俺のフィールドだぜ』と、その拠点を都会に移したとします。
しばらくしたら、
『こんなごみごみしたところじゃ俺の感性は花開かないぜ。
やっぱり湘南の海が俺のフィールドだぜ』と、その拠点を海岸沿いに移したとします。
またしばらくしたら、
『こんな何もない海じゃ俺の感性は花開かないぜ。
やっぱり生命の魂が宿る山や森が俺のフィールドだぜ』とその拠点を
日本アルプスや富士山あたりに移したとします。
もしかして、その過程ではこんな情報を耳にしていたかもしれません。
『世界的なデザイナーの○○が、その生活拠点を那須に移し、
さらなる創作の幅を広げました。』
こう聞くと、那須にいけば変われるような、あるいはそこまでじゃなくても、何かしらの
ヒントでもあるような気にさせられます。
それが、ぶれです。
この場合は、『外からの情報によるぶれ』です。
なんとなく、夢を追っていれば、また、夢想する将来像がでかければ、そんな過程
のひとつとして、ぶれが許されるような気がします。
そして、でかい将来があるんだから、今は役立たずでもいい、という甘えが生まれます。
でも、それは違うんですよ。
1,000,000 ←百万 は、それを持たない人は、
100×100×100 の、ほんの3ステップで、人と違う、人より優れた自分がたどり
着くことができる自己の理想像のように思えるかもしれません。
でも、本当に1,000,000の力を持っている人は、何10とかを何万回も積み上げてるんです。
それは、どんなに小さくても具体的なこと。
言ってみれば、そとから見て1,000,000の力を持っている人は、100ぐらいの経験を
5万回ぐらい、合計5,000,000ぐらいの小さな経験を積み上げています。
でも、自分の仕事に活かせるのはせいぜい1,000,000ぐらい。
でも、残りは決して無駄ではなく、あくまで1,000,000積み上げるために必要な
過程だった、という感じです。
前にもちょっと書きましたが、幸運にも何人かの一流といわれる人を間近に
見させてもらった結論としては、彼らは常に具体的な小さな課題を自分に与え、
常に具体的な小さな目標を掲げてそこに至っています。
なんとなく実力のある自分がなんとなく理想とする将来にたどり着いた、なんていう
ひとは、まずいません。
はっきりいえば、その、無駄を無駄と知りながら途方も無く乗り越えるぐらいの
覚悟をせずに、あるいは最短を望むなら、耐え難いぐらいの痛みを伴うことの
覚悟もせず、その労も果たさずに理想にたどり着きたいなんて、怠け者の
たわごとでしかありません。周りの人にとっては迷惑ですよね。
なんて毒を吐きながら続きます。
投稿者 senshu : 22:17 | コメント (0) | トラックバック
具体性にこだわるいくつかの理由(3)
2009年6月22日
具体性の無い理想論について、前回は行政書士を例に書きましたが、実際には
いろいろな職業や場面で見られるものです。
今いる業界にしても同じです。
『俺のデザインはこんな仕事じゃ活かせないんだ』というデザイナー、
『俺はその瞬間に出会えればすばらしい写真を撮れるのだ』と言うカメラマン、
『こんな仕事だったら適当にコピーとかでいいでしょ』というプログラマー。
常に具体性の無い自己の理想が、自分にとっての現実になってしまっていて、
何の結果も出せない人たちが、あなたの会社やあなたの業界にもいませんか。
残念ですが、こういう人たちが“自分の本領”を発揮する場面は一生無いでしょう。
何回か前のエントリーでちょっと書きましたが、本当に実力がある人は、どんな
仕事でも常に正面から仕事をこなしています。
さらに賢い人は、その仕事において自分が受け持つ部分だけではなく、その周辺
についてもできる限り吸収しようとします。
たとえば、デザイナーであっても、その仕事を受注した経緯を営業に確認したり、
デザイン後にソフトウェアの中でどう動くかをプログラマときっちりすり合わせたり
します。
逆に言えば、そういう積み重ねがあるから、実力のある人になっているのです。
また、特に芸術的な分野では、常に“自分のやりたいこと”と“請け負い仕事”の
どちらがプロの仕事としてふさわしいか、のような話が出ます。
私の考えでは、自分のやりたいことだけではお金にならず、生活ができないのなら、
きっちり請負仕事をこなすべきだと考えます。
請負仕事で生計を立てながら、自分のやりたいことをやるチャンスをつくり続ける、
という方法で、デザインでも写真でも、とにかく続けていける環境を自ら構築する
べきだと考えています。
一番卑怯だと思うし、ずっとその本人も成長しないのは、“自分のやりたい仕事”
以外も受けるくせに、そういう仕事は馬鹿にして手を抜く姿勢です。
顧客に対しても、自分のやりたいことに対しても不誠実ですし、何よりひとつひとつの
仕事から具体性のある経験を摘み取ることができず、その人も成長しません。
たとえ自分にとって意味を感じない仕事であっても、例えば会議に出れば、
その資料に『すごくわかりやすい説明図』があれば、その書き方をまねしようと
してみれば具体的なスキルになりますし、例えば客先で応接に通されて、接客を
受けお茶を出されたりすれば、今度は客を迎えるとき、どんな応対をすれば
相手の本心が聞けるのかなどの、ヒントをつかむこともできます。
具体的な経験の積み重ねが将来の自分を作るのですが、そのためには、
『自分が本気を出す仕事と出さない仕事』を分けてしまってはだめです。
特に会社員を辞めたりして、個人事業主や経営者として生きていこうとするとき、
この癖が抜けない人は、なかなか軌道に乗りません。
なので、自分は経験の積み重ねについても、できるだけ具体性を意識するように
しています。
投稿者 senshu : 12:01 | コメント (0) | トラックバック
具体性にこだわるいくつかの理由(2)
2009年6月21日
若いころというのは(今も若いですが!)、夢や理想を持ち、語りたがるものです。
社会に出てフリーターを経て飛び込んだ行政書士という世界は、若いうちの
“中身の無い理想”を抱え続けさせてくれる最適な場所でした。
法律家と言われたい、人の役に立ちたい、人に頼られたい、社会に貢献したい、
そんな漠然とした理想を抱え、同じ志を持つ同業たちと語り合うのは、なんとも
いえない高揚感のようなものがありました。
しかし、徐々にその理想が理想でしかないことに気がつかされます。
自分たちはそもそも法務省管轄ではないし、法律家ではない。
行政書士という資格は誰もがちょっとほめてくれるけど、仕事にはつながらない。
先生なんていう呼び名は、自分たちが求めるから回りがそう呼んでくれるので
あって、敬意を込めて呼ばれているわけではない。
なにより、資格は取ったけど、人の役に立てるような経験も実力も無い。
行政手続きのマニュアルを見ながら、申請書類の穴埋めをするのが精一杯。
この手間仕事のどこが社会貢献だ?という感じです。
そして、ある人は現実的な経験を積みながら、最初の無垢な理想は捨て、
本当に社会の役に立つ行政書士になっていき、ある人はその理想を捨てきれず
生活もままならず廃業していき、ある人は私のように、実際の行政書士という
業務や生き方は自分には合わないと気がついて転職していきます。
一見、行政書士を長く続けているように見える人でも、実はその軸足の置き方や
業務に対するスタンスは大きく変化させながらも、対外的には行政書士らしさを
装う賢い人もいます。
いずれにせよ、自分の理想があまりに漠然としたものであったと、(明確に認識を
するかしないかは別として)、現状のまずさに気が付き軌道修正をしていきます。
言ってみれば、漠然とした『理想の自分』『人から頼られる自分』『人とは違う自分』
という理想像を壊し、『○○ができる自分』『○○を提供して対価を得られる自分』
『商売上の差別化を図り業務を行う自分』のように、みんな具体化していくのです。
仕事においても、単に『人の役に立つ仕事をしたい』ということが、たとえば
『交通事故被害者が受け取る保険金が少なかったら根拠を示して増額させてあげる』
とか、
『内職商法にひっかかっちゃった主婦のためにお金を取り戻してあげる』などです。
そして、仕事として、自分の生活としてそれを捉えるようになるため、
『人の役に立つ』というのは、『無理なく人の役に立ち続けることができるようになる』
と捉えるようになり、商売として報酬をしっかりと頂戴しながらそれを続けるように
なります。
『人の役に立つ』ことの根拠として、金銭的な自己管理も具体的にできるように
なっていくわけです。
長くなったので続きは次にします。
投稿者 senshu : 14:52 | コメント (0) | トラックバック
具体性にこだわるいくつかの理由(1)
2009年6月18日
昨日は寝ても寝ても眠たい一日で、家に帰ってからも11時ごろに寝てしまい、
おきたのが8時でした。たぶん昨日は合わせて12時間以上寝ています。。。
さて、自分が仕事について、あるいは会社の経営について何かを話すとき、
特に意識しているのが、「具体性」というものです。
仕事に取り組む姿勢、実績、目標など、あらゆることについて、この『具体性』を
抜きに話をすることはしないようにしています。
まずその理由です。
・具体性の無い理想には甘えが入り込む
・具体性の無い理想はすり替えができる
・具体性の無い目標は、ぶれる
・具体性の無い業務は役に立たない
・具体的な理解をせず業務をこなしても経験にならない
などなど。
何で『具体性』というものを強く意識するようになったかというと、それは私の
職歴に大きく関係しているかもしれません。
ひとつは、行政書士という特殊な人たちの集まりの中にいたこと。
もうひとつは、ITバブル崩壊前後にIT業界にいたこと。
あと、周囲にコンサルティングや自己啓発など、一見わかりにくい仕事をしている
人がたくさんいたこと。
まずは、この『具体性』を意識するようになった自分の経験から書きたいと思います。
長くなりますので、つぎのエントリーで。
投稿者 senshu : 16:53 | コメント (0) | トラックバック
今日はちっとお休み
2009年6月17日
今日はちゃんとしたエントリーは書けません。
なぜか昼間眠くて眠くて、仕事モードに入るたびにうたた寝してしまう、
そして電話で起こされる、ということを延々と繰り返していました。
ということで、明日また書きますが、テーマは決めています。
それは、仕事における具体性の話です。
何回かに分けて書くと思います。
投稿者 senshu : 17:30 | コメント (0) | トラックバック
1から10まで
2009年6月16日
ここで書いている仕事に対する姿勢みたいなものは、すべて自分の経験から
書いています。
自分が書ける内容が誰にとっても最善と言うわけでは無いのですが、それでも、
こう考えてこう行動している実例がタスクインタラクティブという形で世に存在する
というのが、あるひとつのパターンとしてわかりやすいのではないかと思っています。
その自分の経験を積む上で、もちろんいろいろなことからヒントを得たり、
いろいろな人から学んだりして自分の糧にしているのですが、その中でも、
実は林さんから得ているものが結構あります。
こないだもちょっと、なるほどなと思うことがあったので、それを書きます。
林さんはご存知のとおり、経営コンサルなどを得意としていて、以前は
行政書士や社労士のコンサルもしていました。(いまは受けていないようです。)
そのなかでの話し。
『完成形が10だとして、学ばなきゃいけないことが10だとすると、1や2学んだだけで
1や2の仕事が出来ると思う人がいるけど、それは大きな間違い。
10学ぶべきことは10学んで、はじめて1や2の仕事もちゃんとできる。』
そのとおりだと思います。
たとえて言うなら、車と走行距離のようなもので、100km先に行くにはちゃんとした
車が必要なのは当たり前ですが、1km先に移動するだけでも、車はタイヤだけとか
ボディだけとかではいけないわけで、車としては100%の完成形でなければならない
わけです。
『多少ブレーキが甘くてもいい?』という考えも、大事故につながるわけです。
半分学んで半分稼げるわけも無く、また、9割学んで1割手を抜いても、
あるいは9割学んで1割自己流を取り入れてしまっても、結果はすべてゼロと
たいして変わらなかったりします。
だから、何かを学ぼうと決めたときは、一旦、10までその方法を学んでみて、
100%自分のものとして会得する。
その後、はじめてそれを壊して自分流を取り入れるのがいいのではないかと
思います。
投稿者 senshu : 22:08 | コメント (0) | トラックバック
新譜紹介とこまかいこと
2009年6月15日
以前ブログに書いた、私が写真撮影とデザインをした、伊太地山伝兵衛さんの
アルバムが発売になりました!
http://www.fssweb.jp/den-bay/new.html
伝兵衛さんは現在このアルバムを携えてツアーに出られてます。
ライブスケジュール
あと、前回のエントリーですが、ちょっと補足すると、
・常に最善を尽くす
というのはとてもいいことだと思いますが、同時に
・常に自分の方法で
というのを意識していると、より自分の将来の糧になる気がします。
自分の方法と言っても、自分のやり方に固執する、という意味ではなく、
自分らしい姿勢を持つ、という意味です。
自分のやり方だけに固執すると、以前のエントリー(2009年05月29日)で書いた
みたいに、世の中に取り残されるようになってしまいます。
あくまで、『顧客重視』とか、『世に無い面白い工夫を取り入れる』とか、
『音楽が生活に溢れる仕掛けを作りたい』とかのような、仕事に向かう姿勢のことです。
あと、前のエントリーで大切なことが抜けていました。
給与所得者の方の場合、どうしても大きな決断をしなければならないタイミングが
ありますね。
自分のやりたい仕事のフィールドに移るために、転職したり、独立したり、という
重大な決断をしなければならないですよね。
自分がすでに経営者なので、この給与所得者の方の視点というのが、どうしても
抜けがちです。
私から言えるのは、独立して起業しようとする場合は、
・最低でも半年分の生活費を蓄えておく
・1日5千円でもいいから、日銭仕事が確保できる目処を立てておく
・いまのポジションの人脈は、独立したらあてにならないことを自覚しておく
・独立して必要なのは、技術や資格ではなく、まずは営業力、経営能力だと
いうことをしっかり認識して訓練しておく
このあたりは失敗しないために重要です。
例えすばらしい技術を持っていても、デザインセンスや業務処理能力、資格などが
あったとしても、それが仕事につながるのは、ひとつの仕事をこなしてから、です。
営業して仕事を取ってきて、そのクライアントの仕事を間違いなくこなせば、
そのとき初めてそのクライアントさんはあなたの能力や資格の有用性を
認識してくれます。
ファーストコンタクトはあくまで営業。
その後はあなたの能力次第。
ここを間違えて、ファーストコンタクトが資格や能力で得られると思うと、
絶対にそんなことは無く独立は失敗します。
また長くなってしまったので、この辺で。
投稿者 senshu : 13:03 | コメント (0) | トラックバック
いまの仕事と自分の将来像
2009年6月13日
こないだちょっと飲みの席で出たテーマですが、その場ですっきり答えられず
ずっと気になっていたので考えをまとめてみました。
日々仕事に追われながらも、自分のやりたいことと違う、自分の積みたい経験と違う、
そう感じたり、自分の向かいたい目標へ向かっているのかわからずに、あせって
しまうことは無いでしょうか。
また、目の前で追われる仕事よりも、自分がやりたいと思うことを優先させたほうが
いいのではと考えることは無いでしょうか。
そんな時、自分はこう考えるようにしています。
その前に、まず、私の基本的な考え方です。
・日々生活して食べていくためには、具体的な仕事を必要なだけこなすべきだ。
・自分がどうなりたいかと同じぐらい、気づけば何であったかを認識するべきだ。
という前提で、自分の目標と日々の仕事の折り合いのつけ方です。
自分の向かいたい方向、向かうべき方向を見定めるのは、例えて言うなら
双眼鏡ではるか先の目的地を見るようなものです。
これに向かってまっすぐに進み、最短距離で目的地に到達することが理想です。
ですが、その目的地のことを、自分は本当に良く知っているでしょうか。
もしかしたら、夢や幻想に近いぐらい、よい面、派手な面しか見えていないのでは
ないでしょうか。
そんなところに、経験の浅い自分が最短距離で到達したところで、本当に地に
足をつけてその目的地を歩くことが出来るでしょうか。
そう考えたとき、双眼鏡で遠くを見るのとは、違う方法があるんじゃないかと
思うんです。
それが、自分がいま意識している方法です。
どういう方法かというと・・・
目の前の仕事を一つ一つこなすとき、
・どこから外側が、自分らしくは無い仕事の処理の仕方かを意識する。
ということです。
双眼鏡を覗くのが、はるか向こうに目標を定めて自分の進む道を決める方法だと
したら、こちらは、目の前数歩先に、自分の歩く道の両側に、自ら杭をうち、ここから
はみ出ずに前に進まなければだめだ、と自分に言い聞かせる感じです。
目の前にある仕事は、決して自分のやりたいことだけではないですし、時には
やるのがむなしくなるような仕事もあります。
そんなときでも、例えばBtoBtoBの仕事であれば、中間クライアントさんの指示が
最終クライアントの利益にならないと感じれば、こういう方法もあります、と提案を
してみるとか、BtoBtoCの仕事であれば、実際に使うユーザーのことを最大限に
意識しながら、仕様の範囲内で入れ込めるものを入れ込んでいく、という感じです。
あと、余裕があったりするときは、もし自分がこの案件のディレクションを任され
たら、どんな絵を描き直すか、ということを考えて、それに合う仕様や使いたい
デザイナーさん、プログラマーさんを検討してみることもあります。
仕事としては無駄になるのですが、自分にとってはいいトレーニングになります。
あらゆる仕事は、それをこなすことが経験になりますし、自分の将来の糧になります。
だったら、自分のやりたい仕事と違っても、自分の向かいたいジャンルと違っても、
自分らしい仕事の仕方を意識して、それを踏み外さずに一つ前に進むことを
意識してこなしていけば、やがては大きな力になるのではないかと思うのです。
そして、踏み外さないように打った杭の間を歩いているうちに、遠くに見ていた
目標にたどり着くこともあれば、気づけば違うところにたどり着いていて、気づけば
そこが自分の本領を発揮する場だったりするかもしれません。
どうしても到達したい目的地が決まっているなら、時々それを意識して
軌道修正しながら進むのもいいかもしれません。
どちらにしても、そこまでにたどり着いた自分は、常に目の前の仕事を、
自分の方法で処理してきた自分ですから、きっとどこにたどり着いても、
すばらしい仕事が出来るようになっているはずです。
長くなりましたが、そんなことを考えながら、日々仕事をしています。
投稿者 senshu : 20:55 | コメント (2) | トラックバック
朝の占いがいや
2009年6月12日
先日、天才犬のコロ君が事務所の掃除に来てくれたおかげで、
快適な室内になっています。久しぶりにすっきりした事務所です。
さて、ただの愚痴なのですが、、、
私はどうしても朝のテレビでやる占いが嫌でたまりません。
自分ひとりだけなら朝にテレビは見ないのですが、そうも行きませんし、
占いのたびにチャンネル変えたりテレビを一時的に切ったりしたら、なんか
それこそ過剰反応しているみたいで嫌ですし・・・
ということで、仕方なしに占いの時間になると出来るだけ目に耳に入らないように
しているのですが、どうしても聞こえてしまいます。
ちなみにさそり座のB型です。。。
何で嫌いか。
だって、朝って、今日一日どんな仕事をしようかとか、誰に連絡をしてみようかとか、
製作途中のあの案件をどう処理しようかとか、昼ごはんはどの店に買いに行こうか、
とか、限りない可能性というと大げさですが、自分の組み立て次第で変わる今日
という日をあれこれと、ちょっとした希望を持って考える時間じゃないですか。
それを、誰かに決め付けられたりケチつけられたりアドバイスみたいなことを
言われたりするのって、すごく気分が良くないんですよね。
自分がヒネクレモノだという自覚は十分にあるのですが、それにしても、あの、
どの番組でも毎朝占いをやるあの感覚はわかりません。
というか、
『今日のあなたは怪我に注意!レモンを食べるといいですよ!』というのと、
『今年のあなたは先祖の霊に注意!この壷を買わなきゃ死にますよ!』というのと、
根っこが同じに思えてしょうがないんですよね。
はい、ひねくれものの愚痴でした!
投稿者 senshu : 12:22 | コメント (0) | トラックバック
敵を利するは何でもかんでも不快
2009年6月11日
昨日のエントリーと対になる話です。
敵の敵は自分を心地よくしてくれる、ということは昨日書きました。
では、逆に敵を利する人に対してはどんな感情を抱くか。
気分が良くないのは確かですが、この気分が良くない、不快が先に出てしまうと、
相手が提示している事実についての判断を誤ります。
例えば嫌いな宗教、嫌いな政党、嫌いな学者、嫌いな個人。
これが、この対象の持つ『良い面』『悪い面』の範疇の話ならまだよいのですが、
怖いのは、濡れ衣のようなことにまで及ぶと、結構危険です。
どういうことかというと、『○○というのは××という宗教団体の悪事らしい』という
話が聞こえてきたとします。
その××という宗教団体のことが嫌いだったとします。
そうすると、糾弾する材料が見つかったため、うれしくなるのです。
ところが、どうも事実を精査していくと、その悪事に××という宗教団体は関係ない
らしい、という事実が見えてきた来たとします。
ほとんどの人は、その事実を提示する人の話の内容で、その正誤を判断します。
が、一部の人は事実を見ず、
『あいつは××の味方だから××を擁護しているんだ!』となってしまいます。
対象は宗教団体でも政党でも個人でもなんでもいいのですが、そういうロジックで
物事を判断する人が結構いる気がします。
そのうち、何でもかんでも悪いことはそいつのせい、それを否定するやつは
みんなそいつの側の人間、のような思考に陥ってきます。
事実が自分を快、不快にするのではなく、自分の快、不快から事実を
作り上げてしまう、まったく逆のロジックになってしまうのです。
前にもちょっと書いたことがありますが、カルトを糾弾していた人たちが、
何でもかんでも世の悪をそのカルトのせいにし、その主張が一般的には
受け入れがたいほど先鋭化してって、ついにはその人たちがカルトになって
しまう、というのも、この快、不快から自分にとっての事実を作り上げる、
というロジックに集団で陥った結果だと思います。
集団で陥った、というより、大きな集団からそういうロジックで物事を考える
人たちだけが残った、ということかも知れません。
あと、これも日常的に行われることなので、注意が必要です。
その事実が××のせいでは無いのではないか・・・と考えたとき、それを誰かに
話してみると、『お前は××の味方なのか?』みたいな事を言われるときが
あります。
私はこういうとき、『事実と敵味方は関係が無い』とはっきり言うようにしています。
投稿者 senshu : 16:40 | コメント (0) | トラックバック
敵の敵は気持ちいい
2009年6月10日
なんのことやらですが・・・
人間いろんな判断基準で行動したり発言したり自分の考えを持ったりするものですが、
その判断基準の中でも最も『的確な判断を誤らせる原因』がこれじゃないかと思います。
『敵の敵は味方』という範囲を超越しているというか・・・
自分が嫌いなもの、憎むものを、誰かが『嫌い』というと、なぜかそれを無条件に
『気持ちがいい』と感じてしまい、感化されてしまう。
例えば、政治、体制、宗教のようなイデオロギー的なことから、エコ、環境、動物愛護
のような『対非人間』的な運動や思想、また、タレント、ジャーナリスト、作家などの、
世間に主張をするような人に対して。
でもこれは、例えて言うなら、自分が『あいつが嫌いだ!』と言って人差し指を向けた
ところ、別の人が寄ってきて、『俺もあいつが嫌いだ!』と人差し指を同じ方向に
向ける。
そして自分はそのよってきた人の人差し指が自分のさした人差し指と同じ方向を
向いている部分だけを見て、
『同じ意見の人がいる。この人は同じ考えを持っている』とその人全体に迎合して
しまうようなものです。
ちょっと顔を上げてみると、その人の反対の手はあなたのポケットから財布を
盗もうとしているかもしれないし、もしかしたら首を絞めようと差し向けているかも
しれません。
同じ方向を向いた怒りの指先があまりに気持ちが良くて、ほかを見れなく
なってしまっているとしたら。。。
逆の味方をすれば、怒れる人に同調してその人を操るのは簡単だ、ということです。
『不満分子』という言葉は、革命や一揆や暴動の話の中によく出てきます。
不満を抱える人を操る方法論を知っている人は、簡単に彼らを自分の持ち駒に
してしまいます。
ただ、それは何も、暴力的な行為だけに使われる方法論ではありません。
意思や思想の操作、集団の行動の操作、世論の操作、消費傾向の操作、
勧誘などなど、いろいろなところで使われます。
むしろ、日常的なところで、この『自分の不満に同調してくれて気持ちがいい』
という厄介な感情を利用される危険にさらされている、ということです。
自分の嫌悪感を利用されているかも、と感じたときは、冷静な頭での
再検討が、判断の誤りを回避してくれます。
投稿者 senshu : 20:17 | コメント (0) | トラックバック
収入の話の続き
2009年6月 9日
二日ぐらい前に書いた収入の話ですが、もうひとつ大切なことがありました。
それは、自分が直接作業しなくても収入につながることをひとつずつ稼動させて
いくことです。
会社なので、これが当然といえば当然の話で、経営者がすべて手作業していたら
意味がありません。
自分の時給仕事ではやりきれないことを、いかに上手に分散できるかが、
経営力というよりも、ディレクション能力が問われるところです。
いまはインターネットもコンピューターも身近な時代ですので、この、自分以外に
分散する、というのは人である場合もあれば、機械である場合もあれば、
コンピューターである場合もあります。
中でもコンピューターが一番導入コスト、ランニングコストが安く、運用の敷居も
低いため、ITの時代だと騒がれたのはご存知のとおりです。
あと代表的なものは、不動産や事業投資、金融投資などですが、私は
こちら方面は自分にはまったく向いていないと思っているので、手を出すことは
無いと思います。
投稿者 senshu : 18:13 | コメント (0) | トラックバック
習得を阻むのは解らないことではなく拒否すること
2009年6月 8日
また自分に言い聞かせるようなエントリーですが・・・
新しい技術や知識の習得を阻むのは、『解らないこと』ではなく、
『解らないことをそのまま受け入れるのを拒否すること』だとつくづく思います。
何かを覚えようと、習得しようとそのための書籍を読み始めたりすると、
必ず『解らないこと』が出てきます。
初めて触れるものだから当然です。
この、『解らないこと』があまりに出てくると、あたかもその習得しようとしていること
全体が自分には『解らないこと』のように思えてしまい、諦めてしまいます。
が、実は問題なのは『解らないこと』では無いのだと思っています。
『解らないこと』は『解らないこと』として、学習している最中は、『そういうもんだ』と
流しておけばいいんです。
次から次へと、『解らないこと』は出てきますが、そのときそのときに理解しようとせず
『そういうもんだ』と流しておけばとりあえずはいいとします。
それでも、教則本は親切に出来ているので、ただ読んでいるだけでも、ただ
書かれていることをコピーしていくだけでも、完成図までを見せてくれます。
そしたら、もう一周同じ事をしてみたり、同じことについての別の教則本を見てみたり
すると、『解らないこと』のひとつがなんとなく『そういうもんだ』と受け入れやすく
なってきて、そのうち、自分の知識として身についてきます。
習うより慣れろ、は、結構真実だと思います。
・・・でもですね、、
この『解らないこと』が全体のほぼ8割ぐらいの状態で『そういうもんだ』と
自分を納得させて読み進めたりするのって、結構つらいんですよね。
本当に頭の中が処理不能なもので一杯になります。
こう、、、変なストレスに埋め尽くされるような。。
ここで拒否してしまうと、永遠にわからずじまいなので、何とかあの手この手で、
ひとつの本じゃわからなかったらほかの本を買ってみたり、ネットで調べてみたり、
youtubeで息抜きしてみたり・・・
そんなことをしながら、遅々として進まないiPoneアプリの開発に挑んでいます。
いままでも携帯とか新しいプラットフォームや新しい言語に取り組むときは
いつもこうでしたが、今回も時間を掛ければ何とかなるだろうと、思っています。
投稿者 senshu : 19:02 | コメント (0) | トラックバック
学歴とか収入とか将来への悲観とかって
2009年6月 6日
最近ちょっと思うこと、といか、テレビの報道やネットに書いてあることとか見て、
そんなに悲観することか?と思うことがあるので書きます。
私も一応こんなお気楽な感じで日々過ごしていても、一応社長さんです。
ですので、友人とかから、「お前はいいよな~稼いでいて」とか言われることとかも
あります。
それで、「俺はこの先もたいした収入とかなさそうだしなー」という話が続いたりします。
あと、ネットの書き込みとかで、
『自分はもう30代になるのに手取りが○○円しかもらえていなくて、
この先もちょっと収入増えたとしても社会の底辺で生きていくしかなくて・・・』
のような書き込みを見かけることなどがあります。
正直、この悲観は私には理解できません。
私も、食べていくのはそんなに楽ではありません。
楽ではない、というのは、収入が少ない、という意味ではなく、毎日一生懸命
働かないと、次の仕事、次の仕事が確保できず、すぐに食べていけなくなってしまう
可能性がある、ということです。
言い換えれば、一日に3万円~5万円ぐらい頂戴できる仕事の実力と、その発注を
してくれるクライアントさんが確保できている、というぐらいのことは出来ていて、
その状態はどうにか維持できている、ということです。
(それでも恵まれていてありがたいと思っています。)
こういうと、とたんにこじんまりした話になります。
例えば一日に3万円もらい続けて、30日フルに働いても90万円。
これは売り上げです。
経費を引いて60万円。
そこから自分の給料にまわせる額は・・・
どうです?
びっくりするぐらい少ないですよね。社長さんといっても。
起業してもそんなもんなの?社長になってもそんなもんなの?
本当にそんなぐらいの収入しかない夢の無い人生なの?
年収○千万とかは無理なの?
と、言われると、実はそんなことはありません。
なぜか。
一日3万円、一日5万円という仕事をこなせる人間は、その仕事のすぐ隣に、
1件○百万円の案件があることを知っています。
さらにその隣には、グロスで○千万円の仕事があることを知っています。
そして、時々そういう仕事に、自社の体力に応じて参加したりしています。
これが、日々コツコツが大きな収入に結びつく秘密みたいなものです。
多分、給与所得者の方などで、現在の自分の収入をそのまま将来に投影して
悲観している方は、こういうからくりを知らないでしょう。
だから、いまの自分がいきなり大きな仕事、高い収入を得ることを空想して、
それを『無理だ』『夢だ』と思ってしまうんです。
私に言わせれば、正直学歴も現在の収入も何もまったく関係ありません。
いま、どんな仕事に参加していて、どんなポジションにいられるか。
そこで自社の技術と体力とスケジュールでどの程度大きな仕事を請けられるか、
必要なのはそれだけです。
あと、若くして企業し大成功!みたいな話だと、大概20代とかで起業して
成功した人が出てきますが、実際に自分の周りを見渡しみると、起業してから
飛躍的に伸びるのが30代後半とか40代ぐらいのほうが多い気がします。
頭のいい給与所得者の人は、勤め人をしながら、この日銭仕事と大きな仕事の
配分や受注の仕方を綿密にシミュレートしてから独立しますので、失敗が
少なかったりします。
投稿者 senshu : 17:50 | コメント (0) | トラックバック
アプリ開発の愚痴
2009年6月 5日
現在iPhoneアプリの開発をしているのは以前から書いているとおりなのですが、
もう、めんどくさい。。。
プログラミングというと、昔はテキストエディエター(windowsのnotepadみたいなもの)で、
一行一行書いていけばよかったのですが、現在ではSDK、Software Development Kitを
使うのが主流で、それ自体がひとつのアプリケーションなため、まず、その使い方を
覚えなければなりません。
もうこれが面倒。おっさんには無理。でも使わないわけにはいかない。。。
あと、化石のように頭が固くなってしまったプログラマーを苦しめる、にっくき
オブジェクト指向。
おっちゃんの時代はな、Basicでできんことは、マシン語で書いたんよ。
LDだSVだっていうバッファからデータを一バイトだけ取り出す呪文をこつこつ
書いたんよ。
『オブジェクトのインスタンスを生成して初期化メソッドでイニシャライジングする』って
いうのは何語だい?
投稿者 senshu : 11:54 | コメント (1) | トラックバック
携帯ゲーム制作の流れの変化
2009年6月 4日
現在、iPhone/iPod touch のアプリ制作に取り組んでいます。
これは、今回のプロジェクトのコンテンツ公開をどうしてもiPodからはじめたかった
という事情があったのですが、あわせて市場の変化などを調べてみると、モバイル
コンテンツの制作業務というものも変化しつつあるような気がしてきました。
最近までは、どんな小さな会社でも面白いものを作れば比較的簡単に収益を
得ることができたのが、携帯電話サイトや携帯電話ゲームでした。
まずここで公開して、DSやその他のプラットフォームに進出する例が結構
ありました。
また、DSである程度成功して、携帯電話に進出してくる例も結構ありました。
ただ、昨今のモバイル端末の変化や、iPod市場などの形成、あるいは
端末に組み込まれる技術などを見ていて、その流れが完全に変わる気がしています。
端的に言うと、これからは iPhone 用のアプリを作って公開した後、
その売り上げによって日本市場向けの携帯電話端末用アプリを作るかどうかの
判断をするようになるのではないでしょうか。
そして、その後DSやwiiのバーチャルコンソール(安価でDLして遊ぶゲーム)に
移植するかどうかを判断する、という流れです。
技術的な側面で言えば、携帯電話は端末ごとの性能差が大きすぎて、
アプリごとに性能の高い機種、低い機種での検証と、対応、非対応の線引きを
しなければならないわずらわしさがありますが、iPod用のアプリなら端末の
性能が(現時点では)同じなため、そのわずらわしさが無い、ということが
最大の利点です。
検証は、実は結構時間とお金がかかるのです。下手をすると、制作にかかる
時間よりもかかった挙句、もう一度簡素なアプリに作り直し、ということも
あります。
それに、公開後の不具合の責任をかぶりたくないため、発注者、受注者、管理者、
プログラマーなどが責任のなすりあいみたいになることもあります。
iPodならそうした心配が不要になるため、最初の予算が読みやすく、安価で
すむ可能性があります。
また営業的な面から言うと、携帯電話で公開するメリットが、昔ほど
なくなってしまった、ということもいえます。
この一番の要因は、以前は携帯電話のメニューが閉鎖的で、かつ、参入者にとって
金銭的負担無く平等な露出機会が与えられていた、ということが大きいかと
思います。
いわゆる公式サイトになれば、公式メニューから有る程度の自然露出があり、
自然流入がありました。
でも、各キャリアとも、インターネットへの入り口を収益化するようになったため、
コストをかけなければ露出が難しくなったことが、結果、広告に掛けられる額の
大小、体力差で有る程度決まってしまう環境に変わってきました。
ちょっと論点が定まらないエントリーになってしまいましたが、
そんなことをごちゃごちゃと考えながらiPodのゲームの準備をしています。
投稿者 senshu : 14:35 | コメント (0) | トラックバック
ブログはこうやって書いてます
2009年6月 3日
前回までちょっと長めのエントリーが続きました。
そういうエントリーをどうやって書いているのかを、ちょっとかきます。
普段のゆるい話だと、大体30分ぐらいで書きとばしてアップしてしまいます。
朝でも昼でも帰り際でも、ちょっと気分転換がわりにかけるようなことを書いています。
前回までのような、割と専門的で、かつできるだけこちらの主張が伝わるように
書く場合は、その書き方が全然違ってきます。
こんな感じです。
1)まず書けるだけ書いてみる
この時点で、最終的にアップするエントリーの、大体2倍~3倍の長さがあります。
2)不要な文章を削除する
ただ、言いたい事はたくさんあったとしても、それを書けばいいというものでは
ないので、次のような内容は容赦なく削除していきます。
・今回のテーマから脱線すること
・根拠が曖昧な主張
・テーマに沿っていても、話が多岐にわたりすぎてしまうこと
そうすると、大体もとの半分ぐらいの長さになります。
3)構成を組み立てなおす
いろいろ削除して要点が絞られたところで、読んでいる方により伝わりやすいように
段落や文章の構成を組み立てなおします。
気をつけていることはこんな感じです。
・ひとつひとつの文章はできるだけ短くする。
例えば『○○でして、○○というのは』みたいな場合は
『○○です。また○○というのは』と文章を区切って、整えます。
・ひとつひとつの文章に矛盾が入り込まないようにする。
どうしても自分の思い込みで書いてしまう文章は、主語と述語や目的語が
曖昧になりがちです。
そういう『何が言いたいのか伝わらない』文章が多く含まれると、結局その
エントリー全体の主張が伝わらなくなってしまいます。
・上から下まで流れるように読めること。
小さな論旨の提示と結論は、できるだけ近くに置く。
論旨の入れ子は互い違いにしない。
どういうことかというと、こんな感じです。
文章全体がこんな構成になってしまっていたら、
『論旨1の提示
:
論旨2の提示
:
論旨1の結論
:
論旨2の結論』
こう直します。
『論旨1の提示
:
論旨1の結論
:
論旨2の提示
:
論旨2の結論』
4)論拠の調査
自分が主張しようとすることに根拠があるか、あるいは自分の認識が自分だけの
思い込みではないか、などをチェックするために、自分の主張している内容を
客観的に調べます。
法律について書いているときは、主に法律の条文などを調べます。
法解釈の『常識』とは何ぞや、というときには、判例なども調べることがあります。
5)場合によっては人に事前チェックしてもらう
めったにありませんが、自分で気になることがある場合は、誰かに事前チェックを
お願いすることがあります。
何よりまず、文章全体を読んでもらって、相手に理解してもらえるようにちゃんと
伝えられる文章になっているかどうか、というのが重要な点です。
自分は自分のバックボーンがあって文章を書いているので、自分でチェックしても
勝手に行間を補足して解釈してしまいます。
なので、誰にも伝わらない独りよがりの文章になってしまう危険があります。
また、自分主張があっているか、思い込みで書いていないかなども、あわせて
チェックしてもらいます。
『自分が正しいと思うときこそ謙虚になれ』とよく言われますが、これは文章を
書くときにも当てはまると思います。
自分の正しさを主張しようとするときほど、手を抜かず根拠を調べ、自分の
思い込みを疑い、さらに文章の構成を伝わりやすいようにちゃんと整える、
そんなことを、気にしながら書いているつもりです。
投稿者 senshu : 11:59 | コメント (0) | トラックバック
行政書士の業務とコンサルティング まとめ
2009年6月 1日
このエントリーでまとめます。
最後に、いただいたコメントの誤りを指摘します。
まず、
『行政書士は、行政に関する手続の円滑な実施に寄与することが
その業務であって』とありますが、これは完全な間違いです。
行政書士法にはこのような記載があります。
(目的)
第一条 この法律は、行政書士の制度を定め、その業務の適正を図ることにより、
行政に関する手続の円滑な実施に寄与し、あわせて、国民の利便に
資することを目的とする。
行政書士の業務というのを、この第一条から引用されたと思います。
しかし、これは行政書士の業務を規定したものではありません。
行政書士の目的でもありません。
行政書士法の制定目的を記載したものです。
業務の規定は次条以降にあります。
(業務) ※括弧書きを一部削除しました。
第1条の2 行政書士は、他人の依頼を受け報酬を得て、官公署に提出する書類
その他権利義務又は事実証明に関する書類を作成することを業とする。
2 行政書士は、前項の書類の作成であつても、その業務を行うことが
他の法律において制限されているものについては、業務を行うことが
できない。
ここでいう、『権利義務または事実証明に関する書類』には、契約書が含まれる、
という解釈が一般的です。
ですので、契約書作成は行政書士の業務だといえます。
次に、
第1条の3 行政書士は、前条に規定する業務のほか、他人の依頼を受け報酬を得て、
次に掲げる事務を業とすることができる。ただし、他の法律において
その業務を行うことが制限されている事項については、この限りでない。
1.(省略)
2.前条の規定により行政書士が作成することができる契約その他に
関する書類を代理人として作成すること。
3.前条の規定により行政書士が作成することができる書類の作成に
ついて相談に応ずること。
3項に、『前条の規定により行政書士が作成することができる書類の作成に
ついて相談に応ずること』
という業務が規定されています。
契約書作成の業務とともに、その作成に関する相談に応じること、つまり、
クライアントの実態を聞き取り、調査し、適切な作業を提示するコンサルティングも、
業務であると規定されているのです。
行政書士が法律家を標榜するのであれば、これを読み違えてはだめです。
法律では、目的は目的として、業務は業務として規定されています。
仮に、業務をその業法の目的で縛ることがあるとすれば、『前条の範囲で』などの
明記があります。
ですので、コメント中の『企業のコンサルは別の話かと』という部分も間違いです。
また、『そこに行政書士の資格は全く関係のないことです。』というのも間違いです。
またコメント中、『能力のある方は、どんどんやって下さい。』との記載があります。
これについて私の意見を述べれば、能力が無ければ独占業務だけに従事して、
能力が高ければ派生業務も行う、という考え方自体が大間違いです。
独占業務であっても、企業がクライアントである限り、必ず企業コンサルティングの
分野の業務が出てきます。
建設業許可でも、要件を満たさない場合、実態を許可基準に合わせるために
コンサルティングをする必要が出てきます。
コンサルティング能力が無ければ、専門家として業務を行うことができないのです。
建設業許可のコンサルティングを行うのも、IT企業の契約関係のコンサルを行うのも、
専門家としては同じことです。ただ、分野が違うだけです。
逆に言えば、『資格があれば能力が無くても独占業務ぐらいはできる』という
考えがあるとしたら、それ自体が大きな間違いです。
最後に、コメントをくださった方の意図を察するなら、おそらく、資格を取って
開業したばかりの人たちが、誰でも彼でもコンサルティングといっている風潮が
間違っている、ということを言いたいのかとも思います。
であるなら、それには同意します。
ただ、世の社長たちは馬鹿ではありません。
表面上先生なんて呼んでたとしても、本当の実力の有る無しなど簡単に
見抜かれてしまいますし、実力の無い行政書士にコンサルティングを依頼する
会社などありません。
また、その風潮の間違いを指摘するにも、しっかりとした根拠を提示しなければ
それはただの愚痴です。
論拠が無ければただの思い込みですし、論拠に間違いがあれば、誰も耳を傾けては
くれません。
それを理解していただきたくて、エントリー3回かけて解説してみました。
誰が見に来るというブログではありませんが、誰が見に来てくれても恥ずかしくない
ように、結構真剣に内容を検討して書いているつもりです。
コメントはいつでも気軽にいただきたいのですが、専門性のある事に関しては、
論拠を示した上で反論してください。


