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具体性にこだわるいくつかの理由(4)
2009年6月23日
具体性の無さと、ぶれや甘えについて書きたいと思います。
前回までに、具体性の無い理想や具体性の無い自己評価がいかに役立たずか、
ということを書きました。
多くの人は、成長の過程でその現実に直面し、具体性を持つ重要さに気が付き、
自分の理想や自分の夢、自己評価を修正していきます。
そこで夢をもてなくなるのは寂しいですが、実のある夢を描きなおして、その
実現に向けて人生を再構築できるのが理想ではないかと思っています。
じゃあ、その現実に直面したときに、具体性の無い理想や具体性の無い自己評価
から抜け出せなかったらどうでしょうか。
例えば、こんなデザイナーがいたらどうでしょう。
『こんな中途半端な田舎じゃ俺の感性は花開かないぜ。
やっぱり大都会が俺のフィールドだぜ』と、その拠点を都会に移したとします。
しばらくしたら、
『こんなごみごみしたところじゃ俺の感性は花開かないぜ。
やっぱり湘南の海が俺のフィールドだぜ』と、その拠点を海岸沿いに移したとします。
またしばらくしたら、
『こんな何もない海じゃ俺の感性は花開かないぜ。
やっぱり生命の魂が宿る山や森が俺のフィールドだぜ』とその拠点を
日本アルプスや富士山あたりに移したとします。
もしかして、その過程ではこんな情報を耳にしていたかもしれません。
『世界的なデザイナーの○○が、その生活拠点を那須に移し、
さらなる創作の幅を広げました。』
こう聞くと、那須にいけば変われるような、あるいはそこまでじゃなくても、何かしらの
ヒントでもあるような気にさせられます。
それが、ぶれです。
この場合は、『外からの情報によるぶれ』です。
なんとなく、夢を追っていれば、また、夢想する将来像がでかければ、そんな過程
のひとつとして、ぶれが許されるような気がします。
そして、でかい将来があるんだから、今は役立たずでもいい、という甘えが生まれます。
でも、それは違うんですよ。
1,000,000 ←百万 は、それを持たない人は、
100×100×100 の、ほんの3ステップで、人と違う、人より優れた自分がたどり
着くことができる自己の理想像のように思えるかもしれません。
でも、本当に1,000,000の力を持っている人は、何10とかを何万回も積み上げてるんです。
それは、どんなに小さくても具体的なこと。
言ってみれば、そとから見て1,000,000の力を持っている人は、100ぐらいの経験を
5万回ぐらい、合計5,000,000ぐらいの小さな経験を積み上げています。
でも、自分の仕事に活かせるのはせいぜい1,000,000ぐらい。
でも、残りは決して無駄ではなく、あくまで1,000,000積み上げるために必要な
過程だった、という感じです。
前にもちょっと書きましたが、幸運にも何人かの一流といわれる人を間近に
見させてもらった結論としては、彼らは常に具体的な小さな課題を自分に与え、
常に具体的な小さな目標を掲げてそこに至っています。
なんとなく実力のある自分がなんとなく理想とする将来にたどり着いた、なんていう
ひとは、まずいません。
はっきりいえば、その、無駄を無駄と知りながら途方も無く乗り越えるぐらいの
覚悟をせずに、あるいは最短を望むなら、耐え難いぐらいの痛みを伴うことの
覚悟もせず、その労も果たさずに理想にたどり着きたいなんて、怠け者の
たわごとでしかありません。周りの人にとっては迷惑ですよね。
なんて毒を吐きながら続きます。
投稿者 senshu : 2009年6月23日 22:17
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