TI千秋の未来永劫適正価格で囲い込み
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脳内補完の除去
2009年7月26日
このブログを書いていてもそうですが、企画書など相手に何かを説明する文章を
書くとき、また、メールなど相手に何かを伝えようとするとき、いつもこの、自分
だけの『脳内補完』されたものを除去して、相手に伝わるように客観的な文章に
仕上げるか、ということに気を使います。
というか、意識的に気を使わないと、すぐに『自己完結の文章』になってしまいます。
人間は情報が少なくても、自分の脳内で補完して、物事を把握することができる
ようになっています。
1を聞いて10を知ることができるのもそのためです。
これが、自分が受信するときにだけ働くのであればよいのですが、自分が発信する
時にも、機能してしまいます。
自分の考えを相手に伝えようとするときに、無意識に自分にとって当たり前の
ことを端折ってしまうんですよね。
それプラス、『印象』とか『色眼鏡』とかそういう思考的土壌まで、当たり前の
事として認識した上で文章を書くので、ささっと書いた文章では、後から読み
直すと、自分でも何を言いたいのか判断つかないことがあります。
読むほうもまた、文章に足りない部分はその人独自の脳内補完をするし、
その人の思考的な土壌で解釈しようとするため、受け手によってはひどい
誤解を生むことになります。
なので、そうした誤解を生まないよう、大切な文章ほど隙間の無い、行間の無い
文章で無ければならないと思っています。
『相手の立場に立つ』というと、なんだかやさしさの行動みたいですが、社会の
中で生きていくためには、必要な感覚だといえるかもしれません。
それができないのが極端になると、、
『俺の言っていることが何でわからないんだ』とか、
『あいつは馬鹿だ』とかを独善的に吐き散らすようになってしまうのかもしれません。
でもこういうことは、自分が極端にずれる前に、普段からちょっとずつ気をつける
癖をつけておかなければ、気がついたら・・・ということになりかねないなと
思っています。
ちなみに、こういうことは写真の仕事でもよくあります。
自分はその現場に行って、何時間もかけて写真をとり、また、仕事で使う1枚の
写真以外にも、その前後何百枚もの写真を見ています。
そのため、これだと思う1枚の写真を選んで相手に見せたとき、
『きれいな写真かも知れないけど、正直何を見せたいのかわからない』という
感想を言われることがあります。
その場所は晴れていて空気がおいしく、周りには緑がいっぱいあって、
風が心地よく・・・という前提が無くて、その一枚を見たら・・・確かになんだか
わからない、という感じになってしまうことがあるのです。
投稿者 senshu : 2009年7月26日 12:13
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コロ (2009年7月26日 21:49)
深い。。。
時々、意味不明のメールを書いてしまう私には耳がイタイ話ですが、本当にそのとおりで、文章でしか伝えることが出来ない場合、特に気をつかわなければなりませんね。
しかし、面と向かって話しをするときも、本当は同じですね。よく考えて口にしないと誤解した相手に突っ込まれたり、つっかかられたり、さらにそのことにむかついて、なにがなんだかわからないけど、大喧嘩、って事もありえますから。
千秋 (2009年7月27日 10:19)
コロくんコメントありがとう。
なんかちょっと思ったんですが、場合によっては自分の
『経験』や『認識(場合によっては思い込み)』などなど、
補完機能の部分が、主題である情報に対して優先して
しまう、つまり、『客観的な情報』と『脳内補完機能』が
主従逆転してしまう事があるのではないかと。。。
面と向かって話するときもそうですよね。
特に自分や相手の頭の中にある『スイッチ』が
反応してしまうと(笑)