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ただ遠くを見ることしかできなくなる
2009年7月30日
って、また意味深なタイトルですが、別に何かあったってわけでは無いですが・・・
起きている間は、仕事のことか、写真や音楽のことか、友人や誰かのことか、
生活やお金のことか、それかくだらないことかゆるいことかを考えているのですが、
そこに、楽しい、うれしい、頭にくる、悲しい、などの感情が入り込んできます。
中でも、年を重ねてきて、若いころと大きく変わったなと思う感情があります。
『悲しい』という感情に対する向き合い方が、若いころと、年を重ねた
いま(っていっても35ですが)とでは、なんだか違います。
あと、これは先日書いた若い頃に書く歌詞と、年をとってから書く歌詞の違いの
話に通じますが、私ぐらいの年齢や経験で書いている層と、若い層とでも、
やっぱり違う気がしますし、あるいは周囲の友人を見ていても、やっぱり
そう感じます。
どういう違いがあるかというと、若い頃は、割と『悲しい』ことを『悲しい』と感じて、
悲しい顔をして悲しい目をして、ちゃんと悲しい感情の中で悲しんだ気がします。
ですが、今は・・・
なんだか、悲しければ悲しいほど、ただ目を見開いて遠くを見ることしか
できなくなって来た気がするんですよね。
ただ自分のことをかっこつけて言っているわけではなく、同年代以上の友人とかを
見ていても、そう感じることがあります。
絶望的に悲観したとき、何かを失ったとき、自分の思いが打ち砕かれたとき、
泣いたり悲しんだりすることができず、ただ遠くを見ることしかできないというか。。。
あれは何でしょうね。
最近特に、若い人たちと曲を作ったりしているからそういう違いというか、
感情の受け止め方やその反応の違いを感じるのかも知れません。
投稿者 senshu : 2009年7月30日 18:21
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コロ (2009年7月31日 10:04)
わかる・・・
たぶん若いころだったら、『悲しい』だったはずのものが、『残念』という言葉に置き換わり、自分の感情の中でも、それは本当に『悲しい』から『残念』になってしまってる。そして、『悲しい出来事』の分析。
・・・なんだこりゃ。。
悲しいという感情が希薄になってることは、確かだ・・・・
千秋 (2009年7月31日 13:21)
コロ君
3歳のマルチーズのはずなのに、いつも30代後半みたいなコメントをありがとう!
そう。なんか別の感情に置き換えているのか、諦めが先に来てしまうのか・・・
楽しさとか怒りとかはそんなに変わらないのに、悲しみだけはなんか変化しましたよね。