TI千秋の未来永劫適正価格で囲い込み:2009年10月分
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沖縄行ってきます!
2009年10月31日
実は明日が自分の誕生日で、その明日から月曜日まで、沖縄に旅行に行って
参ります。
人生初沖縄です。
旅行にご招待いただくという栄誉に預かりました。
関係各位にはお土産を買ってまいります。
ということで、月曜日は平日ですが、南の島に逃避しております。
よろしくお願いいたします。
投稿者 senshu : 00:56 | コメント (0) | トラックバック
つぶし屋体質とまずい屋体質
2009年10月30日
その昔、友人に一人、潰し屋といわれる女性がいました。
なぜか、その人が友人に推して連れて行く店連れて行く店がつぶれてる、
という人で、それはもう飲食店でも雑貨やでも、果ては屋内サーキットでも
お構いなしでした。
「ここのお店の○○本当においしいんだよー」とみんなを先導する先、お店の
前にたどり着くと真っ暗で人気の無い店内。
「あんたまた潰したの?」とみんなに責められる。
「今日は勝つよ」と勇んで向かったカートの屋内サーキットで、店内に入るも
何か様子がおかしい。と思ったら、内装解体の真っ最中だったり。
「あたしが行くとこ行くとこ潰れる」と言ってましたね。
それはどういう体質だろうと。
でもまあそんな偶然が続いただけだろうなあと思っていたのですが、
最近になって、自分にもある体質が備わっている気がしてきました。
それは『不味い屋』体質。
なぜか、自分が行ったことのあるお店に、「あそこのあれは結構おいしかったなぁ」
と思って友人を連れて行くと、劇的に不味くなっている、というものです。
ラーメン屋、洋食屋、中華屋問わず。
友人を連れて店内に入り、微妙に違う空気を感じるも、あまり気にせず
おいしかったはずのものを注文。
出てくるものを見てやっぱり感じる微妙な違和感。
食べ初めて・・・
友人がちらっとこっちを見る。
「ごめん、店でたら謝るから・・・」と、とりあえず何も感がないようにして食べ終え、
店を出てから「こんなはずじゃなかったのに、ごめん。。」と謝り、
「千秋のうまいは信用ならねぇ」とまで言われる始末。
「いや、違う、本当にそこそこおいしかったんだって!」と言っても信用されません。
でも、本当にまったく変わってしまってるんですよね。
ラーメン屋なんて、それまではちゃんと仕込んで作っていた味がしたのですが、
友人を連れて行ったときには明らかに業務用スープの味になっていましたし、
洋食屋のポークジンジャーなんて、フルーツの味がしっかり効いたソースだった
はずなのに、まさに生姜と醤油と味醂の和風しょうが焼きになっていて、肉も
一口で判るぐらい質が悪いものになっていましたし。。。
まあただ経営努力の足りない店が多いってだけなのですが、
こういうのが続くと気になりますねー
投稿者 senshu : 10:10 | コメント (0) | トラックバック
ベースは人間性
2009年10月28日
って何の話かって、バンドの話です。
ボーカルがいて、ギターが一人か二人いて、ベースがいて、ドラムがいて、
という、軽音楽系のバンドの中でのベースの役割について、別のバンドの
ボーカルと話になりました。
ベースとは、ベースギターやコントラバスなど、バンド形式で使う低音弦楽器の
総称なのですが、立ち位置としては、ドラムとともにリズム帯の一部であり、
同時に、ギターやキーボードなどとともに旋律を担います。
ベースに求められるものは、一言で言ってしまうと、人間性、ってことに
なるのではないか、、、という結論ですが、そこに至るまでいろいろな
話があります。
まず、ベースのイメージってどんな感じでしょう。
これは、私が高校時代に所属していた軽音楽系の部活に、後輩が入ってきた
時のベースに対するイメージです。
・地味
・簡単そう
・音符一個しか弾かない
・派手なギターと違って何が楽しいのかわからない
音楽をやりたいと志す人にとってもこの程度の認識なのですが、一般的には、
目立つギターに対する日陰者であり、いてもいなくても変わらない的な
ポジションかもしれません。。。
かく言う私もベーシストですので、バンドなどの経験がない方と音楽の話を
したときなど、こういう空気をひしひしと感じることがあります。
ベースは(絃をいっぱい弾く)ギターと違って簡単なんでしょう?
ベースは(目立つ)ギターと違って地味ですよね?
・・・ギターが弾けないからベースを弾いてるんですか。。。
違ーう!!
実際には、ベースはバンドの要(かなめ)であり、この信頼感によって
バンドの良し悪しや全体の雰囲気が大きく変わってきます。
自分がベースだから言うわけでは無いですが、ベースがしっかりとしている
バンドは、ボーカルもギターも、自由に遊び目立ち輝くことが出来ます。
ベースとドラムの息がちゃんと合っているバンドであれば、多少ギターが
適当に演奏しても、ボーカルにリズム感が無くても、みっともなく演奏が
崩れることはありません。
また、メロディラインを下支えするルート音階を、丁寧に、かつギターや
ボーカルのメロディを活かす様に配置していけば、彼らを際立たせた上で、
音楽に表情を与えることができます。
そして、リズム帯としてドラムと連携し、バックミュージックとしてギター
と旋律を鳴らし、ボーカルの呼吸を見て全体の調整を図ります。
また、ライブなどでもよく聞いてみていただけると判ると思うのですが、ギターが
多少音をはずしても、リズムがずれていても、『ちょっと遊んでる』ぐらいに
受け止められるかもしれませんが、ベースが音やリズムをはずすと、
『すごくみっともない』印象を強く受けます。
それだけに、演奏については正確性や安定感が求められるのです。
ということを総合して考えると、周りに目配りが出来て、相手の動きを
感じて全体を整え、下支えをし、隙間をフォローし、ということを意識
して出来るベーシストがいるバンドは、演奏がぐっとまとまり、局に
抑揚が生まれます。
その素地として、周囲に神経を使う気持ちや、メンバーからの信頼感がとても
大切になるのです。
ただ漫然と単音を追いかけるだけのベーシストになるのか、バンドの
要として役割を果たせるベーシストになるのかは、やっぱり人間性に
拠るところが大きい、という結論でした。
投稿者 senshu : 10:51 | コメント (0) | トラックバック
『mixi はもう古い。』by.ユーザー 『日記+足あとはもう古い』by.GREE
2009年10月26日
ですって!
mixiの凋落は叫ばれて久しいですが、GREEの転身ぶりもすごいですね。
今日のITメディアニュースに記事がありました。
ちなみにmixiは、Twitter風機能を追加しましたが、いかんせんドメスティックかつ、
もともとはクローズドのコミュニティなので本家Twitterの“機能”は導入できても、
その“文化”はまるで異なるものでしかないと思います。
その点に関しては、GREEも似たようなものだと思いますが。。。
無責任に何の建設的でもない雑感を申し上げますと・・・
mixiもあそこまでユーザーを増やして大きくなって、いろいろな機能も充実させて
会員のニーズに応えて来て、ようやく理想系に近づいたーと思ったころ、
とどのつまり、『もう古い』と嘲笑されて棄てられて、、
って、儚いというか、難しいものだなぁと思いました。
話は逸れますが、この場合、『とどのつまり』ってぴったりの表現ですね・・・
笑えませんが。。。
もともとはベンチャーがアイデアと気合で作ったものだとしても、今では立派な
企業として運営されています。
サイト上の会員数やページビュー数は水もの的な、バーチャル的なもので
あったとしても、もはやその裏側は、技術職や営業職や、総務や人事など、
大勢の人の労働で成り立っています。
成り立っていますというか・・・
それが会社が大きくなるということであり、ベンチャーがベンチャーとして発ち、
当然目指す将来であったのかもしれません。
ひとつのサービスを立ち上げ、会員を増やし、サービスを増やし、人材を増やし、
順調な成長の原動力となっている経営資本が不安定であることの恐ろしさを
じわっと思い知らされます。
“もろい”と言っていいのか、“賞味期限が短い”と言っていいのか、
あるいは“変化に追いつけなかった”と言っていいのか。。。
ユーザーは『わざわざ調べない』『わざわざ探さない』『わざわざ継続しない』。
わかってはいますが、リアルのビジネスに直結していないインターネットビジネスの
難しさを改めて考えさせられます。
投稿者 senshu : 17:50 | コメント (0) | トラックバック
ここからが本当の弱肉強食社会だ
2009年10月23日
先日行政書士時代からの友人の石田君とご飯を食べたときに一致した
話題ですが、、、
相変わらずこのブログなので、政治的な意図で書いているわけではありません。
途中政権や前政権を批判するような話が出てきますが、結論へ導くための
導線ですので、ご容赦ください。
本当の弱肉強食社会は、今から始まるだろうということ。
それから、どんな社会制度になろうと、あるいはどんなに社会制度が変わろうと、
それにびくともしないぐらいの経済的基盤を個人的に構築しておかなければ、
常に制度に飲み込まれる危険にさらされることになるだろう、ということ。
高度経済成長期の『成長前程』『人口増加前程』の福祉政策が破綻をし、
不況で経済成長が見込めない上、企業は国内の競争より、むしろ海外との
競争に勝たなければならない時代なのに、内需はデフレ傾向が加速しています。
こんな時代の労働環境整備や、福祉の整備には、高度なハンドリングが
求められるはずです。
それなのに、いまだに集票のための現金ばら撒きと、イデオロギーのための、
『お金持ちから弱者へ』的な福祉政策を行おうとしているとしか思えません。
この舵取りを一歩間違えると、結果すべての人が制度に押しつぶされる
社会になってしまいます。
例えば、子供手当てのための赤字国債発行や、農家の実体からかけ離れた
所得保障(しかもこれは順次漁業など他の業種にも適用しようとしている)、
実体とかけ離れた最低賃金の引き上げや、派遣廃止等の労働市場の硬直化、
などなど。。
財源の無い福祉は単なる派手な借金での散財でしかありません。
なので、もっと福祉を、もっとお金を、という出口側の要求はそれはそれとして、
政府としては税収につながるような企業の育成や富裕層の取り込みを図る
ことにも注力しなければいけません。
それなのに、いまだに『お金持ちは』とか、『大企業は』という物言いしか
出来ない閣僚もいます。
このまま、ばら撒きとイデオロギー的な弱者偏重を進めたら、どうなるでしょう。
いずれ、大きな負担がのしかかってきます。
バラまきを続けることが出来ずに、子供手当てや所得補償が廃止され、
期待していた福祉も受けられなくなります。
高負担で競争力を失った企業が、国際的な競争に敗れ縮小していきます。
過大な負担を嫌がる大企業が海外に流出していき、税収が減ります。
結果、仕事も無い、お金も無い、貧困に落ちても社会保障も受けられない
社会になっていきます。
実現性の無い対案は、現状への反対でしかありません。
野党であるうちは、単に反対反対わめくだけではみっともないので、せめて
実現性の無い対案を提示して、あたかも別の選択肢を用意しているように
見せかけることが許されました。
でも、それを実行してしまったら社会はどうなるでしょう。
結果、ここからが本当の弱肉強食社会のはじまりになります。
社会保障制度など無関係なぐらいの収入を得て、高負担の税金など
ものともせず、国家財政が破綻する前に、財産を持って海外に移住
できるぐらいに稼がなければ、将来は無いかもしれません。
保障を受ける側になったとしても、おそらく必要な全員に分配を行うことは
出来ないでしょう。
なので、役人に取り入り、政治家に口利きをしてもらえるだけの投資は
必要になるかもしれません。こちらも弱肉強食であることに変わりありません。
と、書いてきましたが、そうならないためには、やはり前政権の腐敗や
硬直化を取り除いて大掃除をした後、マニフェストに書いた、前政権への
対案としての非実現的な政策は捨てて、改めて設計をしなおした将来像を
描くべきではないかなと思います。
で、、石田君の意見ですが・・・
『ハイパーインフレを起こして円の価値を100分の1ぐらいにすれば、
月26,000円の子供手当ても、額面800兆円の国債残高も"へ"でもない』
確かに・・・
投稿者 senshu : 10:30 | コメント (0) | トラックバック
尽くしたものほど後悔の念に苛まれる
2009年10月22日
わざわざ取り上げるべき話題でもないことは承知なのですが、どうしても
一言言っておかないと気持ちが悪くてしょうがないので、お付き合いください。
いま、テレビでは、どのチャンネルを回しても、ある俳優の老夫婦の悲報を、
美しい夫婦愛の結末として取り上げています。
正直、私にはどうしてもこれを素直に受け止めることができません。
というか、人の死が関わっても、これほどまでに人は醜く偽れるのか、
という印象しかもてません。
この老夫婦については、献身的な老老介護の美談として、テレビ番組で特集が
シリーズ化されていました。
何の気なしに、その第一回目を見たとき、衝撃を受けました。
それは女優さんの変わり果てた姿でもなく、夫の心のこもらない言葉でも
ありません。
『まだ医者には掛かっていない』というナレーションにでした。
誰の目から見ても、全身にも精神的にも、相当に老人性の障害が進行した
状態に思える、その人を今まで一度も医者に連れて行っていない、という
絶望的な放棄状態だったわけです。
それが、この先は愛情あふれる夫の献身的な介護の美談として、心配そうに
医者と話をする夫の表情や、それを美辞麗句で語るナレーションで、塗り固め
られていくことに、反吐が出そうな思いでした。
それ以降、そのシリーズ商品となった特集を見たことは無かったのですが、
ここ数日、その女優さんが危篤になり、なくなられたということで、朝の番組
などで目にするようになりました。
そして、そのとき感じた『いやな思い』が、改めて何倍にもなってよみがえって
きます。
尽くしたものほど、誰かを失ったときに、足りなかった後悔の念に苛まれたり、
過去を思い改して自分を責めたりするものです。
それに、
『自分が~をした』
『自分にとって~だった』
『自分の今後は~だ』
『自分は悲しい』
なんて、自分を主体に物事を考えられるようになるまで、時間が掛かるものです。
この年になれば、いろいろな方の死やその後に立ち会ったり、あるいは
近しい人を亡くしたり、介護を少しの期間手伝ったり、そういったことが
あります。
その経験から、死を前にした人々や自分も含めて言えますが、亡くなった人を
大切にしていた人ほど、あのときこうしてあげればよかった、とか、あれは
こうしたほうがあの人のためだったのではないか、とか、そんな思いに捕らわれ、
自分の気持ちを語る言葉などもてないものです。
それをあんなに饒舌に、自分の悲しみを表現して、自分をほめて、自分の
将来を悲観して見せることができるでしょうか。
どんなに、自分はやれることはやった、と思おうとしても、他人から、あたなは
できるだけのことをよくやった、と言われても、その言葉である程度自分を納得
させることが出来るようになるまで、かなりの時間を要するものです。
ましてや、最初から医者に見せることもしておらず、介護をする中でその間違い
に気が付き、心を入れ替えたとしたらなおさらのはずです。
人様の人生にけちをつけることは間違いですし、ましてや人の死に関わることに
文句をつけるのは失礼極まりないことだとはわかっていますが、あれほどに
メディアが美談として煽るのを見ると、自分の心の底に黒いものがたまりそう
でしたので、ほんのわずかな方にでもこの気持ちを吐露したくて書きました。
人の死は痛ましいものですし、周囲の人間が亡くなった人を惜しみ、
残された人を励ますことは大切な行為です。
それだけに、この報道にはいやな思いが募ります。
テレビを見なくなったひとつの理由は、テレビをつけていると、どうしても
こうした、いやなものを見せ付けられてしまうからだと思います。
投稿者 senshu : 09:51 | コメント (0) | トラックバック
自分の業界の話の続き。鬱というよりは。。。
2009年10月20日
この話についてはずっと考えていたのですが、こうして書いてみて、また昨日の
エントリーとかを読み返してまた考えがまとまってきました。
要は、実績があり、内部にいて、リアルタイムに変化の中にいると、『調整』で
対応可能でありそうするべきという判断になることでも、ちょっと距離を置いて、
時間的にもある程度の差をもてる過去と、現在を比較してみると、それはとても
『調整』で対応できるようなことではなく、大きな『転換』、場合によっては『業態変更』
をしなければならないことだった、ということだと思います。
これを認めるのは怖いし、躊躇する原因もいくつかあります。
ただしこれを考え始めると、また堂々巡りになりかねませんが。。。
・ひとつは、それでも相変わらず成功している企画や会社があること。
・ひとつは、状況が悪くなってもゼロではないので、やりようがあるのではと、
調整の試行錯誤を繰り返してしまうこと。
携帯電話公式サイトの事業が以前よりも難しくなったからと言って、すべての
会社のすべての企画がうまくいかなくなったわけではありません。
当然、大成功している会社や大成功しているサイトはいくつもあります。
それについては、詳しく書くと長くなりすぎるのでざっと書くとすると、、、
・成功と失敗の落差が大きい
・投資に対する平均的なリターンの期待値は以前より悪い
・制作のコストが大きい
つまり、家庭用ゲームのように、ある程度のコストを掛けて、成功率と
失敗率と全体的なコストマネージメントを勘案した上で、さらに制作費以外の
コスト、宣伝広告費などを予算に組み込まなければなりません。
それは複数の制作ラインが無ければ難しいことかもしれません。
話を戻します。
一発のアイデア勝負に拠らない方法で、事業として継続、発展させていく
ためには、その事業によってそれぞれ、最低限必要なリソースというものが
あると思います。
それは同じ事業であっても、ビジネス環境が変われば大きく変わるものであり、
その見極めを誤ったり、過去の認識にとらわれて判断を躊躇したりすれば、
明るい未来は開けない、ということです。
携帯電話関連事業については、何をいまさら、という感じかもしれませんが、
なかなか大きな判断というのは難しいものです。
といっても、今後まったくこの事業をやらないわけではありません。
すでに動き出している音楽サイトの件などもあります。
が、それについては、集客などについてはほぼ『公式サイト』の利点を
期待しておらず、もっぱらアーティストさんのリアルな活動に依拠します。
少額の代行決済機能が主な目的です。
なんだかんだで愚痴っぽくなりましたが、これも大きく跳ねるために
ぎゅっと縮んでいる、そんな時期の、自分なりの気持ちの整理のつけ方
だったりします。
投稿者 senshu : 17:57 | コメント (0) | トラックバック
自分の業界の鬱度。継続と転換と。
先日人に説明していて鬱になった自分のいる業界、携帯電話コンテンツ業界の
現状と将来を分析してみて、さらに鬱になってみようというシリーズです・・・
なんていうとすごく後ろ向きな感じですが、実際どの業界でも起こりえることで、
成功体験とベクトルの修正の難しさを実感する内容だと思います。
ちなみに、ここで検討するのは『自社案件として行うもの』に限ってです。
すべてのコストを負担し、企画立案から制作、運営までを、自社か、お金を払って
発注する仕事に関してです。
請負仕事については除きます。
さて、現状の前に、もともとあった携帯電話コンテンツ業界のイメージをまとめ
たいと思います。
タスクインタラクティブが『IQ右脳』などを制作していた頃ですね。
あの頃といえば・・・
・携帯が「電話とメールか」ら「情報端末へ」の変革期で、市場が開拓されていく時期。
・アイデア勝負で、面白いものを作れば市場に受け入れられた
・デバイスの性能やソフトウェア容量の制限がかなりあり、リッチなゲームは
作ることが出来なかった。動画や3Dグラフィックなども使えなかった。
逆に言えば、グラフィックなど、見た目は簡易なもので十分だった。
・ゲームはお金を払って遊ぶものだった。
・携帯からのWEBの入り口=公式サイトのメニュー一覧だった。
という、いまにしてみれば本当にいい時期でした。
って、じい様が嘆いているだけに見えますよね。
あの頃はよかった。。。みたいな。
でも、じい様が嘆いているだけではないんですよ。
本当に、ずいぶんと状況が変わりました。
今は、こんな感じです。
・市場が成熟期に入り、市場規模も頭打ちになってきた。
・資本を投じてチームで作るリッチコンテンツが当たり前になってきた。
・同じジャンルでの競合が多く、競争が激しくなった。
・無料のゲームサイトが増え、ライトユーザーや学生がそちらに流れた。
・公式サイトのメニュー一覧は、トップメニューのうちの一項目に過ぎない存在になった。
・上記に伴い、多額の広告費が掛かるようになってきた。
・プラットフォームやソフトウェア言語が多様化し、どれが主流になるか読めなくなった。
・不正が横行し、大きな損害が発生するようになった。
端的に2点だけ、デジタル世界のことを実店舗になぞらえて言うと・・・
○店舗があるメインの大通りが、ある日突然、閑散とした地下街になり、
新しい幹線道路がその上に出来た。
○店舗のすぐ近くに、何でも無料で物を配って人を集める無料配給所のような
ものが沢山出来た。
うーん。。。
今までの自社業務の方向性は、携帯電話サイト、しかも公式課金のサイトで
収益を上げる、というものでした。
でも、その出店場所が、審査さえ通れば大通りに出店し得て、そこで勝負を
すればよかったときと、ほとんど一見さんが通らない地下道に出店することになる
今とでは、まったく予算立ても運営方針も変わります。
しかし、タスクインタラクティブを含め、どうにも以前の成功体験を引きずっている
会社ほど、現状に適応しきれず、苦戦している気がします。
人通りが少なくなった分、広告を増やせばいいだろう、とか、コンテンツを増やせば
どうにかなるだろう、とか考え、結果コスト倒れになりかねない綱渡りをし勝ちです。
もし、これが実の店舗を構える商売であれば、自分が主要道路に出店して
いたのに、近くに国道が出来て店の前は誰も通らなくなった時点で、業態から
収支計画まですべて見直さなければならないはずです。
その上、すぐそばに自分のところの商品と似たような商品を無料で配る
お店が次から次へと出来るような尋常じゃない状況になったらなおさらです。
業界の中にいて、すでに一定のベクトルで仕事をしていると、これほどの
変化の中でも、それに気が付かず、どうにか現在の方向性を何らかの
方法で継続しようとしてしまいます。
例えば広告を沢山打ったり。
でもそれは、当初の事業計画とはまったく違う、極端な方針転換です。
なのですが、すでに動いている事業をどうにかしようとするあまり、つじつま
あわせに必死になってしまい、環境に依存する業態の破綻から目をそらして
しまいがちです。
長くなったので、続きは次に書きます。
投稿者 senshu : 00:35 | コメント (0) | トラックバック
発案と学習のハザマと自己満足
2009年10月15日
プログラマーであると同時に、企画者でもあるのですが、お客様の要望を調査して
それに合ったソフトウェアなどの企画を立案して提案したり、自社の事業を立ち
上げたりすることがよくあります。
このとき、まずはニーズを拾い上げたり、状況を調査しながら、自分の頭の中だけで
構想を練ります。
そして、様々なアイデアを出したり、自分なりの状況分析を行ったりします。
私の場合、この段階ではまず他人の意見を聞いたり、手引きの書籍を調べたり
することはありません。
出来るだけ、完全に自分で調べた材料を元に、自分の頭の中だけで構想を
練ります。
というのもこの段階では、自分の頭の中の発想は、どんな要素も曖昧で漠然と
しており、どれひとつとっても自由に取捨選択、修正を行うことができます。
しかし、他人の意見や、それも専門家の意見なんか聞いてしまうと、どうしても
自分の頭の中から出てきたものとは、色の違った要素として、その先の思考に
引っかかりがちになってしまうからです。
そうすると、どうにも自分の自由な発想の妨げになってしまいます。
あともうひとつ、どこまで自分だけのアイデアとして良いものを構想できたか、
という充実感を味わいたい、ということもあり、
『自分だけでここまで思いついたぜー』と自己満足したり他人に自慢したり
したい、という願望があったりします。
これは世の中に無いアイデアだ、とか、経験が物をいうな、とか、自画自賛を
楽しみます。
が、、、
仕事として何かしらの企画立案をする以上、もちろんこのままで良いわけは
ありません。
ここからが、ちょっとつらい作業になります。
やっぱり、そうした事業の先例や、先行者の書いた書籍、あるいは経験者など
から学び、自己満足の企画を練り直す、という作業に入らなければいけません。
これがですね・・・
自分のアイデアが独創的だ!と思っていたことが、すでにその業界では
取り入れられていることだったりするのを目の当たりにするわけです。
そんなときは、まあ、、そうだよね、、、とガッカリすると同時に、あながち
自分の考えた方向性は間違っていなかったんだ、と安心したりもします。
この作業を後押しするのは、『愚者は自らの経験に学び、賢者は歴史に学ぶ』
という誰か偉~い人が言った言葉です。
賢者にはなれなくても、せめて愚者でいたくは無い、という気持ちが、自己満足の
プライドをちょっと押しのけてくれる力になります。
こうした、他者の経験やその業界の手引き本的なものに学ぶ作業には、
主に二つの意味があると思っています。
ひとつは、他人の経験や体系だててまとめた情報を得ることが出来るということ。
当たり前ですが、自分の経験していないことを得ることが出来るので、まったく
新しい情報や、まったく新しい視点を得ることが出来ます。
こうした手引き本やHow To 本などや、あるいは成功者の経験談などで
気をつけなければならないのは、再現性の高い、理論構成と裏づけがしっかり
した、即応用可能な情報と、単なる個人的な成功例の様な、特定の条件で
無ければ通用しない情報が混ざっているということ。
あくまで玉石混合だということを認識した上で読めば、少なくとも一人分の
経験がそこにあるわけですから、無駄になることはありません。
(またあるいは、何らかの意図を持ったブローカー(例えば他人に独立開業を
煽ってフランチャイズ展開の手ごまにしようと考えている業者)などが、その
意図を隠して特定の業務を“儲かる”的に煽っているものなどもありますが、
これは気をつけなければなりません。)
もうひとつの意味は、その業界など特有の言い回しや、単語を知ることが出来る、
ということです。
作り上げた企画書を見せた相手が、『お門違いのプログラマーが書いたんだろ』と
思うか、それとも『よく勉強しているな』と感心してまともに取り合ってくれるかは、
意外とこんなところに違いがあったりします。
これは、特に特殊な業界にいるクライアントから受けた業務の場合などは
重要です。
こうした企画立案作業の進め方というのは、人それぞれ、自分なりの
やり方などがあると思いますが、私の場合は完全に、前半は自己満足、
自己陶酔型ですね。
投稿者 senshu : 12:53 | コメント (0) | トラックバック
プログラマーに出来るのはプログラムだけか
2009年10月13日
ちょと現実逃避気味のブログ書き込みですが・・・
長年プログラマーをやっていますが、自分自身はあまり、プログラマー限定という
意識はありません。
そのはず、旭山動物園の映像DVDを制作したり、音楽関係の映像やデザインの
仕事をしたり、元はといえば行政書士だったりするわけですから、プログラマーは
自分に合っていると思いながらも、限定ではないですね。
ただ、『ただのプログラマーで終わりたくは無い』という考えとも違います。
プログラマーというのはやっていると奥が深い仕事ですし、自分の立ち居地の
置き方によっては、ディレクターや企画者として振舞うことも出来ます。
そんな折に考えることは、
『プログラマーに出来ることは、プログラミングだけだろうか』ということだったり
します。
このブログでも折に触れ、『プログラマー的考え方』をほかの事に当てはめて
物事の解決を試みたりすることをしてきました。
これは、案外と他の仕事に活かせるのではないかと思っています。
全体を俯瞰して設計する目と、詳細を切り分けて具体的な構築をしたり問題解決
をする手。
処理を時系列に落とし込みコンフリクト(衝突)を回避する時間的な設計。
ソフトウェアに必要な素材要素を列挙して、容量制限に合わせて取捨選択や
調整をして準備する事前調整。
実際にソフトウェアが稼動した際、ワーキングメモリやバッファが仕様上限を
超えないよう組み立てる処理管理方法の設計。
CPUやメモリの処理速度の上限を超えないよう全体的な稼動管理。
ハードウェアの値段やデータセンターの運用費などのコスト管理と、それに
あわせた仕様調整、などなど。
プログラマーがやることは、言語が変わっても、要はこれらの処理をどう行うか、
ということにかかってきます。
それから・・・
完成したプログラムの評価は、一般的にはキャラクターの絵や、ゲームの仕様
など、素材によるものが大きくプログラムは問題なく動いて当たり前と判断され
ます。
プログラマーにしてみれば、事前にどれだけユーザーの声を拾って使いやすい
ユーザーインターフェースを入れ込めたか、とか、処理待ちを感じさせない
処理手順を構成できたか、など、目に見えないところをどこまで追求できたかで、
実際のソフトウェアに対する、ユーザーの印象がずいぶん違うことを知っています。
そんなことを活かす方法を妄想し、現実逃避中・・・
目の前には今日明日で仕上げなければならない携帯サイトの仕様書がぁ
投稿者 senshu : 16:54 | コメント (0) | トラックバック
安い金を払いたいわけじゃない、必要なものが欲しいだけだ!
2009年10月11日
意味深そうな格言めいたタイトルですが、単なる自己催眠だったりして
何か必要なものを購入しようとするとき、それが結構な値段だったりすると、
どうしても、類似の安価なものに目が行ってしまいがちです。
信頼できる商品が、店頭で10,000円するものが、ネットショップだと8,000円ぐらいで
買えて、さらに類似の廉価な商品だと、5,000円ぐらいで買えたりします。
このときの比較検討は、冷静なようで実はかなりおかしな評価をしているなぁと
自分でも思うことがあります。
まず、店頭で10,000円だして必要なものを買った場合、当然必要な性能や
安心できる信頼性を手に入れることが出来ます。
ただ、同じ商品でも、ネットで買えば8,000円だとします。
これはちょっと迷いますよね。
店頭で買おうが、ネットで買おうが、商品は一緒なのですが、
購入店が信頼できるお店であれば、その安心感も付いてきます。
以前あるカメラ店系の量販店でカメラを購入した際、運悪く背面液晶の
ドット抜けがあったのですが、ドット抜けは通常は交換対象外なので、
「はずれを引いたなぁ」とがっかりしたことがありました。
が、ちょっと待てよ、と。何ではずれを引かされなきゃいけないんだ!と怒りが
沸いてきて、いろんな理屈を100個ぐらい考えてから、交換の交渉をするために、
購入した店にもって行きました。
店に着き、カウンターの店員さんを見つけ、開口一番、
『これドットが抜けてるんですが、こうか・・・』ぐらいまで言った時に店員さんが
にこやかに、
『交換しますねー』
と、びっくりするぐらいあっさりと交換してくれたことがあります。
おそらく、そのお店からメーカーに戻せば、メーカーもあっさり引き取るのでしょう。
量販店の力を思い知らされましたね。
同じようなことが(不良品ではなかったのですが)、レンズでも2回ほどありました。
さて、では類似品を5,000円で買った場合です。
大抵の場合は、機能が足りない、とか、性能が劣る、とか、すぐ壊れる、という、
当然の帰結に至り、『ここまでお金を出したんだから』という本末転倒な理由で、
ちゃんとしたものを買いなおす羽目になります。
判っているのですが、なぜこうなるかというと、
・必要なもの(A)
・類似品(B)
という比較をするとき、なぜか(A)を評価しているときは、その軸は“性能”であり、
(B)を評価しているときは、その軸は“値段”という、比較できない軸で比較を
している、というより、『比較をしているつもりになっている』んですよね。
100円ショップのガムテープは、量販店で300円するものよりもはるかに短い、
ということが判っていながら、なぜか購入するときには100円ショップのほうが
手を出しやすい、とか、洋服用ハンガーは安物だとすぐ壊れたり割れたりする
のが判っているのに、安物を買ってしまってすぐ壊れる上に服が型崩れ
してしまったりとか。。。
これは、きっと大切なお金を消費するという苦痛に対する、麻酔的な効果を、
無意識に安物に期待しているだけなのかもしれません。
でもこれをタイトルに戻って言うと、こういう比較なのではないかと思います。
・安いお金を払う
・適正なお金を払って必要なものを手に入れる
このどちらを選びますか?
というような。
本来はまったく比較になっていないですよね。
ということで、最近はあまりこういうわなにはまらなくなりました。
気づいてみると、安物対必要なもの、という(A)対(B)という比較を排除する
ようになると、今度は、
・Aは本当に必要だろうか
・Aはどのように活用できるだろうか
・Aは仕事においてどの程度の利益につながるだろうか
・Aの価格は価値に対して適正だろうか
という、そのものに対する評価が深く厳密になってきます。
いやー大人になったなー
といいつつ、ほしい理由を一生懸命探したりして。。。
でもそれが、以外にも新しい発見につながったりして、
『安物買いの銭失い』になるよりは遥かにましだなぁと思ったりしています。
投稿者 senshu : 14:08 | コメント (0) | トラックバック
いまさらですがY150
2009年10月 8日
Y150という、横浜の開港150周年を祝うイベントが先日終了しました。
いかれた方はいらっしゃいますか?
あまりに不入りだということで、終了ぎりぎりぐらいに、ちょっと覗きに行きました。
夕方チケットの 1200円があるということで、夕方から行きました。
もし時間が無くなったらどうしよう、と思いながら入ったのですが・・・
メイン会場に入ってすぐに、開港に至るまでのペリー提督との交渉や
そのときの会議風景などの展示があるのですが、まるで『文化祭?』と思われる
ようなレベルに大人のお金で取り繕っている、という感じでした。
大掛かりな展示物としては、例の巨大蜘蛛があり、その公演も見ましたが、
プレ・イベントで2匹の巨大蜘蛛が、本当に道路を封鎖して街中を練り歩いたのを
見た身としては、会場内の何も無い広場を往復するだけの演目は、ちょっと
寂しいものがありました。
あとは、企業ブースがひとつありましたが、興味をそそられず、パスしました。
大きなフードコートのテントがありましたが、これも特にそそられるものも無く、
パスして、次の会場に移動しました。
移動しました、というよりは、『あれ?もう終わり』という感じで気づいたら出口に、
という感じで、道路を渡って隣の会場へ。
ここでは、なんかアニメをやっているらしいのですが、その20分のアニメが、
『中編』と『後編』を交互に・・・ って、前編は?
と思ったら、会期中の期間で、前編、中編、後編と上映を分けていたみたいですね。
並んでも完全入れ替え制とのことで、中編から見たところで、話の途中から
始まるわけですし、次の回の後編は見ることが出来ず、再度並んで、次の次の回
の後編まで待たなければならない、ということで、パスです。。。
あとは照明の消えた屋外ステージと、あとは・・・
なんとコンビニが1件。
だけ。
また気がつけば外に出ていて、最後の会場へ。
ここは日産の企業ブースなのですが、なにやら見るまでに並ばなければならない
上に、上映の定員があり、次の回にまわされると、さらに待つことになりそうなうえ、
なんと・・・
会場にトイレが設置されていませんというアナウンス。。。
当然パス!
ということで、、、
もう終わったから言いますが、これ、まともな値段で入ったら、例えばカップルが
ちょっと遠方からこれを見に来て、二人で4800円払って入っていたら、絶対
喧嘩が始まるレベルですよ。。。
800円で期間中何度でも入場できる、ぐらいでちょうどいい価格設定です。
映像作品が1箇所(しかも細切れ)+屋外1箇所(しかも会場外から丸見え)
屋外ステージが2箇所(そのうちのひとつの蜘蛛は外から良く見える)
企業ブースが2箇所
フードコートとコンビニ
よくこれで2400円の入場料を含め、企画が通過したなぁという感じですねぇ。
横浜市民としてあまりに残念なイベントでした!
・・・で、その程度の笑い話で済めばいいのですが。。。
このイベント、ほぼ丸投げで博報堂が受注してるんですよね。
で、期待の星だった横浜市長の中田さんは会期終了前に辞任して
しまっていますし。。
この責任を巡って、横浜にちょっとした火種が残るかも知れませんね。
投稿者 senshu : 19:26 | コメント (0) | トラックバック
ビジネス環境とセルフイメージとやる気
たいした話ではないのですが・・・
先日から新しい分野での仕事を妄想しているのですが、これは、現在いる
業界のビジネス環境の悪化が、どうにも悪い方向に進行しているようにしか
見えないからでもあったりします。
どういうことかというと・・・
以前は、携帯電話サイトなどは、小さな会社がアイデア勝負でしのぎを削り、
面白いものを提供すれば、一定の評価を受けて、ある程度の収入が確保
出来ていました。
それが、今ではモバゲータウンやグリーのように、無料無料であおり、ゲームを
数百本公開しても、すべて無料で遊べます、というサイトが数多くあります。
それらのサイトは、無料で公開した後、アフィリエイトなどの広告で運営費と
利益を稼ぐのですが、その無料攻勢で、大事な広告出稿元である有料サイトを
どんどん駆逐しているため、結果収益は悪化する方向にあります。
また、なお悪いのは、そうした業界のはやり、すたりだけに飛びついてくる資本が
後から後から流入してくるため、次から次へと無料サイトが立ち上がり、立ち
行かなくなり撤退し、その間、収支計画のずさんな無料サービスだけをユーザーに
垂れ流し続け、結果ビジネス環境を悪化させるだけにしかならないという参入者が
まだまだ続いている、ということです。
また、現在取り組んでいるiPhoneなどをはじめ、google携帯や、その他の
プラットフォームが新規に出ると、そこに先駆けて参入した会社が利益を
得やすいのですが、ではどのプラットフォームが普及するか、というと、それは
初期の見極めは大変難しいのです。
そうすると、今度は新しいプラットフォームへの対応、という人的リソースへの
投資そのものが、ギャンブル的になってきてしまいます。
もちろん、これがここ数年で急激に悪化するという話ではないのですが、
将来的には考えるべき課題です。
そんな現状認識を関係各位にしていたところ・・・
だんだん仕事が・・・
俺は何をやってるんだろうって・・・
・・・って、自分が鬱になってどうする!
経営者としては、少し先を見据えた冷静な現状認識は大切ですが、
結果ひどく憂鬱になる危険性があるから注意が必要です、という話でした!
でも、そこを先回りするための悪材料の洗い出しは重要なんですよね。
投稿者 senshu : 09:37 | コメント (0) | トラックバック
仕事とプライベートの境界線
2009年10月 6日
無いですね~ いきなりですが。
仕事とプライベートの境界線が無いというのは、以前は結構普通のことだと
思っていたのですが、事業主特有の習性なのかもしれませんね。
例えば、音楽の映像やデザインの仕事をすることと、自分がそのスタジオに出入り
すること、そのスタジオを借りて自分が演奏することとの間に境目など無く、また、
自分が地方に出かけて楽しいと思うことと、その楽しさを何かのサービスとして
提供できないかなぁと考えることの境目が無く・・・
ほかの人から見ると、公私混同とも思えることが、事業主にとっては結構当たり前
だったりして、それは、あれやりたい、これやりたいというのと、決裁権を同時に
持っているから実現していることでもあったりします。
いま、ちょっと新しい事業に向けて妄想を膨らませ中なのですが、事業として
立ち上げる決済をする以上は、当然収支計算が成り立つという前程でなければ
なりません。
ここが、単なる公私混同と、事業主の役得の境目かなと思っています。
ということで、妄想中です・・・
投稿者 senshu : 09:18 | コメント (0) | トラックバック
新しいスキルの獲得は、何歳まで出来るんだろう
2009年10月 3日
お前はなんかの病気か!というような、前回までのエントリーからの
振れ幅のでかい話ですが・・・
このブログでも時折触れていますが、この業界、常に新しい技術や新しい
プラットフォーム(携帯電話やiPhoneなど)との追いかけっこです。
その流れに乗れれば、先駆けとしてある程度の利益確保が出来ますが、
出遅れるとすぐに数多の後発組とともに埋もれてしまいます。
かといって、何かが出るたびに飛びついていたら、はずれを引く確率は、
決して低くないのです。
この業務の利益率は・・・
タスクインタラクティブの場合、どんな業務でも割と小さな単位で動くので、
利益率はかなり高いです。
どんなに多いときでも、プログラマー2人、デザイナー2人の4人編成を
超えることはまずありません。
これを、大人数で常に仕事を取ってきて、常に制作ラインを稼動させていようと
思うと、利益率はぐっと下がります。
それだけに、自分自身が新しい技術に対応して、現場で仕事をすることの
意味というか、経営資源としての比重は高いし、何より、いまうちで
受けているような、割と漠然としたプロジェクトの中で、必要な要素を洗い出し、
ユーザーの使い方、サーバなどのリソースの負荷、制作した資源の活用方法、
著作権その他の法的な制約などなどまで頭に入れた上で、ソフトウェアの
仕様を考えて、プログラムにまで落とし込むことが出来る人間を育てようと
思ったら、ちょっとしたリスクではすまないぐらい大きな負担になります。
よく、3ちゃん農業などという言い方をしますが、プログラムにしても、そういう
側面は否めません。父ちゃんあっての仕事であるというのは、間違いの
無いことです。
それから、もうひとつのやり方があるのは、よ~くわかってるんです。
VC(ベンチャーキャピタル)から出資を受けて、会社を大きくする方法。
数年前は散々翻弄されましたが、今は逆に、VCから好条件を引き出す
術は心得ています。
が・・・
それって自分がやりたい将来に向かうかと考えると・・・
第一線で新しい技術を得ながら本当に活躍できるのは、プログラマーは30歳前後
までといわれているようです。 やつが言ってるんですが → はやし
でもそれはその通りだと思うことがあります。
プラットフォームが変わると、ガラッとプログラムの方法が変わります。
単に言葉が変わるだけではなく、例えばハードウェアの高性能化によって
要求されるグラフィックの質が変わり、それにより、画像オブジェクトの扱いが
まったく代わるなど、それまでとはまったく違う考えを導入しなければならない
こともあります。
そういうことがある度に、古い価値観を引きずらない若いプログラマーと
立場が逆転する転機になったりするんですね。
もちろん、そんなに直近の話ではないです。
では無いですが、10年たったら私も45ですから、今のうちからいろいろと
考えておかなければならないことがあるのではないかと思っています。
そんなことを考えながら、日々ぬらりと仕事をしていたりします。
投稿者 senshu : 11:31 | コメント (0) | トラックバック
こちらのブログが停滞している裏でみぞうち一撃
2009年10月 1日
こちらのブログを見に来てくださっている皆様に申し訳ないような停滞が
続いている裏で・・・
はやっさんところが着々と更新していますね~
しかも私のみぞうちに重い一撃が・・・
ところで、みぞうちって、みなさんはなんていいます?
みぞうち
みぞおち
みずおち
私は『水が落ちるところだから水落ちだよ』というのを信じていたのですが、
みぞうちが主流派??
ということで、相変わらずこのiPhoneのサイトだけはちゃくちゃくと更新中です!


