TI千秋の未来永劫適正価格で囲い込み http://www.hayakei.jp/senshu/ ja 2010-05-03T13:12:21+09:00 思ったとおりに体が動かない  ドラムと体の事をまとめてみる(2) http://www.hayakei.jp/senshu/archives/2010/05/post_320.html ドラムの練習を始めたときに言われた言葉に、
『グルーヴを歌えれば体が自然に動く』というものがありました。
 
楽器やスポーツの練習をはじめたときなどに、同じようなことを言われた経験は
無いでしょうか。
上手な人にとっては、ああしたい、と思うとおりに体が自然に動くことであっても、
苦手な自分にとっては、全くもって無理でした。
 
野球にしても、サッカーにしても、かけっこにしても、思うように体が動かず、球を
捕ったり、蹴ったり、走ったりすることができません。
これがまさに、運動音痴だということであり、これはもう天性のものだとあきらめて
いました。
 
 
流れとしてはこんな感じです。
例として、自分が中学のときに学んだ陸上の短距離を思い出して考えたいと思います。
 
 
 
テーマが与えられる 『速く走ろう』
 ↓
方法を教えられる 『腕を強く振る』『脚を高く前に出す』
 ↓
練習する 『腕を一生懸命強く振る』『脚を一生懸命高く前に出す』
 ↓
足りない部分を補う 『筋肉をつける』
 ↓
練習する
 ↓
出来ない。置いていかれる。
 ↓
練習する
 ↓
出来ない。出来る人はもう出来ている。自分は運動が出来ない。
 
 
概ねこんな感じです。
 
 
 
こんなことを、学生の当時は何の疑問も感じずにやっていて、結果できなかったから、
がんばっても出来ないのだと思い込んでました。
 
いま思えばこんなもったいないことは無かったし、大人の頭で考えれば、この流れの
中だけでも無数の疑問が浮かびます。
 
 
 
まず、速く走るために必要なことである、『腕を強く振る』『脚を高く前に出す』という
ことについて、いくつもの疑問が浮かびます。
 
腕を“強く”というのは、どの程度強くなんだろう。
脚を“高く”というのは、どの程度高くなんだろう。
そのほかにも、どのタイミングなのか、主にどこに力を入れれば良いのか、
疑問は尽きません。
 
学生時代はそれこそ必死に、より“強く”より“高く”腕や脚を動かそうとしてました。
が、結果全く速くならず。。。
 
出来る人を見ても分からないし、先生などに聞いても同じ事を(『強く』『高く』)を
繰り返すだけで、理解できないことをもどかしそうにされてしまう始末です。
 
 
 
いまであれば、これについていくつか解決方法を検討できます。
 
まず、“強く”“高く”という相対的な言葉が出てくることについては、
『誰かの経験から来ている言葉だろう』と疑ってみることです。つまりその人にとっては、
“より強く”、“より高く”という解決方法で、速度を上げることが出来た、という個人の
経験に従ったものだろうということです。
それが『結果として』理にかなったものであった場合、その言葉は、他の多くの
プレイヤーにも共通の経験をもたらし、“強く”振ることと“高く”上げることが
『速く走るための方法』として、定着したのだろうということです。
 
 
次に、ただ“強く”すればいいのか、“高く”上げればいいのか?という疑問が浮かびます。
腕を強く振るというのは、ひとつの方法しかないのだろうか、高く上げるというのは
ひとつの方法しかないのだろうか、つまり、その“強く”“高く”という言葉だけで
正しい動かし方が伝わるのだろうか、という疑問です。
 
当然というか、なんというか、私には伝わりませんでした。
より“強く”、より“高く”していたつもりですが、それが走る速さにつながっていたかと
言えば、おそらくそうではなかったでしょう。
 
 
これが出来る人は、運動神経のいい人、出来ない人は、運動神経の悪い人、
そんな感じですよね。
 
 
さらに悪いのは、その次の手順、『筋トレ』です。
筋肉をつければ速く動く、強く動く、という理屈です。
ある意味、それは正しいかもしれません。が、あくまで、力学的な話であり、それが
走る速さに通じるとは限りません。
いくつかのパターンで、それは逆効果になりますが、そのことについては後述します。
 
 
 
長くなりましたので続きは次にします。
 
 
 

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ドラムと体の事 senshu 2010-05-03T13:12:21+09:00
運動音痴は作られたもの ドラムと体の事をまとめてみる(1) http://www.hayakei.jp/senshu/archives/2010/05/post_319.html 久々に更新、というか、新しいシリーズをまとめてみたいと思います。
 
 
1年近く前、35歳にしてドラムを始めました。
学生の頃に遊びでやってたことはあったのですが、自分は運動音痴だし、
才能はないしと思い、その後は全然練習などしていませんでした。
 
 
それがなぜ突然かというと、以前のエントリーにも書きましたが、日本を
代表するドラマーの御大に出会い、
「俺のいうとおりに半年練習すれば、何年もやってるやつより遙かに上手くなる」
という言葉にそそのかされたからでした。
 
そこでいわれたのが、これも前に書きましたが
『イスは高くしろ。脚を上げて落とすだけでペダルが踏めるように』
『手のひら、手首、肘、肩、何処にも絶対に力を入れるな
 大きな音を出したいときでも、各部位の弱い力の足し算で強い力になる』
『叩く前に叩きたい音を歌ってみろ 自然にその通りに叩けるようになる』
『肩から手の先、スティックまで力の通り道がある それを自分の体で確認しろ』
 
だいたい、こんなところです。
 
あとは、
 
『グリップなんか自由でいいんだ』
『叩けば戻ってくるから世界一力を使わない楽器だ』
 
などなど、でした。
 
 
かなりあっさりした内容でしたので、一見簡単に思えたこともあり、それぐらい
なら守れるかなと思って、普段からお邪魔しているスタジオが空いてるときに、
ちょっと部屋を借りて練習させてもらったりしたのがはじめでした。
 
 
 
これが、自分の人生の中でちょっとした衝撃になるほどの、壮大な経験への
入り口でした(笑)。
大げさな書き方ですが、自分が"運動音痴"と思い込んで来たことを後悔し、
さらにはこれまで教育の中で接してきた体育の先生全員を恨むぐらい、実は
単純なことなのに、何で今まで教えてもらえなかったのだろうという悔しさは
ひどく感じます。
 
(教育についての恨み言は、一連のエントリーの中で、どこかで
 まとめたいと思います。。。)
 
 
 
その後の経過から現在の状態までについては、また別途まとめるとして、
簡単な結論から。
 
 
体を動かすこと、スポーツや楽器の演奏が上手くなる方法は、
『自分の体との対話しかない』
ということです。
 
そのために必要なのは、体がどういう作りをしているか正確に把握し、
その構造がどのように動くのが自然かを把握し、
不自然な動きを排除してトレーニングを積む、という事です。
 
 
これは、ピンと来た方もいらっしゃるかもしれませんが、いわゆる
『アレクサンダーテクニーク』のメインの理論ですね・・・
行き着いたところが、すでに100年近く前から研究が進められていた
理論だったなんて、教育を恨む気持ちもわかって頂けるかと。。。
 
 
もちろんそんな長く研究されてきた理論と同じ事までたどり着いたわけではなく、
その課程を正確に書くと
 
 
御大の言葉を信じて練習する
 ↓
壁にぶつかる
 ↓
どうしても再現できない
 ↓
天才のいう言葉は真意が見えない
 ↓
もっと凡人にわかるように言い換えているものは無いか探す
 ↓
自然に動くってどういうことだ?
 ↓
そもそも、動く物の構造を把握して無くて動かし方を体得できるのか?
 ↓
そんなはずはないだろう。まずは体の構造の把握からだろう
 ↓
体の構造を調べる+運動と関連している解説を探す
 ↓
とあるドラム教室のウェブでいろんな解説を見る
 ↓
体のつくりと動きを知り、上達したり壁にぶつかったり繰り返す
 ↓
もやもやした物が解決しそうになり、いろいろわかりそうになる
 ↓
アレクサンダーテクニークに行き着いて、とっくに理論立てられている事を知る
 ↓
経験と関連づけて消化してみる
 ↓
御大に話してみる
 ↓
御大は自分の体との対話だけで行き着いていたことを知る。。
 
 
 
1年弱掛けて、こんな過程です。
感想としては、やっぱり天才っているんだなということです。
自分の体と対話する天才。これが、一流のアスリートやミュージシャンの
本質なのかもしれません。
 
 
じゃあ凡人はどうか。特に私のような、運動については凡人以下の運動音痴の
人間はどうか。
これが、自分の人生の中でもちょっとした衝撃だった結論なのですが、
 
 
『手順さえ知れば、かなりいい線まで行く』
 
 
といえます。間違いなく、ドラムに関しては言えます。
 
 
と同時に思い知らされたのは、
・いままでいかに、自分の体の構造、動かし方を知らずに来たかということ
・運動を教える方法が間違っているか、ということ
・運動に長けている人にも2種類いる。それは
 自然な動きを会得するまで無理せず じっと耐えながら正しい練習を
 重ねて、結果大きく伸びる人 と
 ある程度の動きから先は、過剰な筋肉や無理なひねり、ねじりなどを
 使って、技術を手に入れるけど、その分ほかの可能性や将来性を失っている人
・無数にあるドラム教室やドラム教則本、映像などで、いかに間違った
 練習法を垂れ流しているか、ということ。
 しかも、その先生(ちょっと上手い人)の経験に基づいた、かなり限界が
 低い上に、体を壊すリスクが高いだけの物が多いということ
 おそらくそれは、ゴルフやテニス、ボーカルスクールなどでも言えるかも
 しれません。
 
 
そして、
 
 
・運動音痴はいない、ということ。
 
 
 
この1年弱、実際にいろいろ考えて試して、調べて行き着いたことを
今後しばらく掛けてまとめてみたいと思います。
 


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ドラムと体の事 senshu 2010-05-01T13:37:32+09:00
福祉政策と国際貢献は別、ですよね・・・ http://www.hayakei.jp/senshu/archives/2010/04/post_318.html ついに子ども手当が始まってしまいました。
財源も未定、使途の予測もしていない、経済効果の試算もしていない、本当に
ずさんな政策です。
地方からは、この財源を地方に振ってくれれば保育園などの十分な整備に
充てられるという意見などもありながら、何に使われるかわからない現金と
して、個人に直接支給されることになりました。
 
 
休日にちょっと大きめのゲームセンターでも行けば、1回で5000円分ぐらい、
メダルゲームのメダルに浪費している親子なんて山ほどいますよ。
 
個人的にはどうかと思いますが、自分のお金で遊ぶ分には全然問題はないと
思います。
が、これからは子供のいる世帯の家計に直接現金が投入され続けるわけなので、
こういう光景を見ると複雑な気持ちになりそうです。
 
 
 
それから、大問題はやっぱり、国外にいる外国籍の子供にも支給される、
というものです。
これを、福祉だから良いとか、分け隔て無く子育てを支援するべきだとか、
ひどい物言いになると、国籍による差別は許さない、とかいう意見を見かけます。
 
 
これは完全に間違いですよね。
国内の福祉政策は、あくまで国内の政策であり、外国の子供に対する支出は
国際貢献とか国際援助に分類されるものです。
 
予算は限られており、その限られた予算は必要に応じて各分野に割り当てて
使われるのが、国家財政のあり方ですよね。
 
 
外国籍の子供を援助するのであれば、まずは外国籍の子供を俯瞰して眺め、
どの国の子供が援助を必要としているのか、あるいは、その国の実情に
合わせて、一人あたり幾らぐらいの援助が必要なのか、という計算があって
行われるべきものです。
 
 
たまたま親が日本に出稼ぎに行っていたから、その子のいる世帯だけ、現地
の価値で考えると相当な大金になる額を受け取ることが出来る、というのは
福祉でも国際貢献でもありません。
 
 
それに、問題点として挙げられていますが、現地の子供の厳密な確認が、
各地方自治体の窓口では出来ない、ということや、人数制限が無く、養子
でも該当する、ということから、数十人、数百人の子供を養子として
申請する人がいれば、申請した額だけ支払われてしまう、ということです。
 
非現実的ではありません。
内戦状態の国や、経済状況の悪い国であれば、孤児はいくらでも見つかる
でしょう。
その子たちをブローカーがまとめて、誰かと養子縁組させれば簡単に、年間
数千万でも受け取れる訳です。
 
もちろん、こんなお金は本当にその子のために使われることなんかありません。
ブローカー同士で山分けするだけです。
子供に届かない子ども手当であり、犯罪組織を潤わせるだけの子ども手当です。
 
 
そこまで極端に多くなくても、『自分の子供の数+α』ぐらいの人数分を
受け取る仕組みは、簡単にできあがるでしょう。
外国籍の人は、国にあと一人います、国にあと二人います、という感じで、
ボーナスのように、子ども手当を受け取ることが出来るわけです。
 
外国の戸籍や養子縁組の証明書類などを、各地方自治体の窓口で厳密に
審査するなんて不可能です。
 
 
 
財源は限られていますし、それを越える支出は国債などの借金として、必ず
将来にツケを残します。
そのツケには利子が付き、国家の与信力の毀損、という目に見えない悪材料を
将来に残します。
 
つまり、子ども手当をもらう子供たちが、必ず将来、利子付きで返さなければ
ならないお金です。
それを、ずさんな政策で、本来援助の必要が無い世帯や、海外にまで余計に
ばらまくわけです。
 
これのどこが、子供のための政策、なのだろうと思います。
 
 
民主党になれば、福祉が充実する、はずでした。
 
でもこの政策は、少子化対策でも福祉政策でもありません。
本当に単なるばらまきです。
しかも、来年からは倍額になります。
 
 
国がやるべきは制度と設備の充実のはずです。
税金による富の再分配は、必要な人が必要なものを得られてこそ機能する
はずです。
 
必要な保育園の整備も進まず、子供の医療施設の充実も進まず、貴重な財源を
ばらまくだけです。
 
 

たぶんこれ以上の悪法って、そうそう思いつくものが無いのではと思うほどの
悪法だと思います。
 
 

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政治の話 senshu 2010-04-03T10:41:38+09:00
選挙のこと、自分たちのことしか考えていない、だけじゃないかも http://www.hayakei.jp/senshu/archives/2010/03/post_316.html さらに、民主党のやばいところは、何より“自分たちの選挙のこと”しか考えて
いないことです。
 
もちろん選挙によって自分の地位を得る政治家である以上、選挙の事を考えるのは
当然ですし、自分が国政に出ることが世の中のプラスになるという信念があれば
こそ、その地位を守ろうとするのは当然でしょう。
 
 
でも、明らかに手段である選挙が目的化しすぎています。
選挙をするための人を国費を払って養っているようなもんです。
 
その上、地方選挙のたびに飛び出す、
『政権与党である民主党の候補者がどうなるかで、それなりの態度を取りますよ』
という恫喝のような選挙演説や、
『民主党の候補者が当選すれば高速道路でも何でも作り放題です』という
あからさまな利益誘導の応援演説など、さすがに引きます。
 
地方分権も何もあったもんじゃありません。
 
 
 
ちょっと話は違うかもしれませんが、以前に、民主党政権になったとき、
『これで本当の弱肉強食社会がやってくるな、と考えた』と書きました。
また、閉鎖的な社会に向かっているという事も以前のエントリーで書きました。
上記のようなものがいい例で、誰に付くかで利益を得られるか、どちらに
味方するかで利益を得られるか、何処の村社会に入れてもらえるかで生きて
いけるか、という流れに、確実に向かっています。
 
地方からの陳情を民主党の地方支部を窓口にして、幹事長室に一本化する、
というのも、族議員を生まないため、といえば聞こえがいいですが、普通に
考えたら利益も権力も統制するということに他なりません。
 
利益や権力は、普通は分散している方が、独裁者を生むリスクを減らせます。
でも現状は誰かにそれが集中する仕組みになっているのです。
党の仕組みではなく、日本という国の仕組みが、すでにそうなってしまっているのです。
 
 
 
独裁的な社会は不公平を生み、貧富の差を生みます。
正常な経済活動が停滞すれば、国全体の地盤沈下を進めます。
 
 
うがった見方ですが、民主党は、というか、小沢幹事長はそれを見越して
動いているのでは無いかとすら思えます。
 
つまり、日本がこのまま経済的に立ちゆかなくなっても、民主党によって
囲い込まれた身内だけは助かり、その他は絶望的に悪化した経済で苦しむ、
極端な2極化が起こりえる、という前提で動いているのでは無いかとすら
思えてしまいます。
 
現在の財源無きばらまきは、必ず将来の日本の財政を圧迫します。
当然です。
お金はどこから沸いてくるわけでもなく、他国がプレゼントしてくれる
わけでもありません。
 
 
それを理解していない国民でも、一票の投票権は持っています。
数年間、ばらまき続けてその後に日本がつぶれても、それまでに自分たちの
ノアの方舟を完成させ、その中に入れていればセーフ、というチキンレース。
 
 
本当にうがった見方ですが、財政も経済状況も悪化している日本を目にして、
二通りの選択肢があると思います。
 
 
一つは、何とかして立て直そうと努力する。
一つは、潰れてしまっても自分だけは助かる準備をしておく。
 
 
小沢幹事長は、この後者の立場を取ろうとしているのでは無いかと思うのです。
 
 
自分たちの利益だけしか考えていなければ、それは悪政につながり、
国民や国の将来に悪い影響を与えます。
それを監視する耳目を持たなければいけないのですが、その情報源がどんどん
奪われつつあります。
 
民主党議員は自由に発言できないのは、例の横粂議員のテレビ取材のような
ことから見て取れます。
が、それ以上に深刻なことがあります。
 
官僚や役人の記者会見や、国会での答弁が禁止される方向に法改正が進んでいます。
運用ではなく、法改正です。
 
政治主導といえば聞こえがいいですが、口をふさぐことが必要でしょうか。
悪政に異を唱える行政の声すらも国民には届かなくなってしまうということです。
 
 
 
自民党議員も、もちろん自分の選挙が大事だし、利益誘導などももちろん
ありました。
 
でも、陳情の一本化のような権力集中、その結果国政が悪化してもその状況
が国民の目に届かなくなるような体制作りなど、ここまで露骨にはやりませんでした。
 
 
この政権交代というものが、想像以上に異質なものを国政の中心に据えた
ことだったと改めて思わされます。
 
 
 
 

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政治の話 senshu 2010-03-25T13:14:23+09:00
自民党よりはマシ? http://www.hayakei.jp/senshu/archives/2010/03/post_315.html 昨日書いた話ですが、なんだか筋書きがあるかのような展開になりましたね。
小沢幹事長が生方氏の副幹事長解任撤回だそうです。
 
解任決議をした副幹事長会ではなく、幹事長が解任撤回決定。
恐怖と慈愛。
役割分担が出来てるようです。
 
ただ、これは筋書きがあったわけではないと思います。
部下が勝手に跳ねた(行き過ぎた懲罰を行った)状況を、小沢幹事長が利用した
だけでしょう。
これで党内でもさらに批判しづらくなる上に、挙党体制のシンボルとしての地位を
固めることができますから。
 
 
さておき、今回のテーマは、民主党は自民党よりマシか?という話です。

これを書く目的は、決して『民主党がこんなにひどい!』といいたいわけでも、
『自民党のほうがこんなにマシ!』といいたいわけでもありません。
そうではなく、思い込み、つまり『民主党のほうが自民党よりマシなはず』とか、
『もう少し我慢をして自民党の息の根がとまり民主党の政権担当能力が上がれば
 良くなるはず』という思い込みを捨てて、冷静に、個々の事象を判断して、
民主党を支持し、批判するほうが健全では無いかと思うからです。


 
民主党が自民党よりマシかどうか、というのは、民主党のイメージとしての、
・政治と金の関わりにおいてクリーンである
・財政の無駄を無くし安定した国家運営と高い福祉の確保ができる
・弱者の利益を守ることが出来る
・嘘をつかない誠実な政治家の集まりである
などの点が挙げられると思います。
 
 
まず一番目、政治と金の関わりにおいてクリーンかどうか。
 
これは論ずるまでも無く、幹事長の秘書が何人も逮捕され、党首が脱税し、さらに
裏献金で秘書が逮捕される議員が出るなど、自民党と大差ありません。
より悪いわけでもないかもしれませんが、より良くも無いです。
  
 
次に、財政の無駄を無くし安定した国家運営と高い福祉の確保ができるか、という
ことですが、これも否定的です。
 
一見事業仕分けでそれを実現したように見えますが、実績としてはパフォーマンス
の粋を出ていません。
 
それどころか、高速道路の建設を復活したり、目的や経済効果もはっきりとしない
子供手当てを財源の不確かなまま推し進めるなど、財政の健全化は見込めません。
 
目先の支持集めのための浪費がひどすぎます。
子供手当ても、本当に出生率の改善が目的であれば、制度と設備、つまり
社会インフラの整備が先であり、保育所の整備や子供の医療制度の整備が
先です。
それに、はるかに少ない財源で育児のためのインフラ整備が出来るはず、という
地方の声も多くあります。
 
子育ての社会インフラに不安があれば、支給されるお金は将来への貯蓄に
回されるため、景気対策にもなりえません。
 
 
 
次に、弱者の利益を守ることが出来るかどうか、ですが、これも怪しいと思います。
その理念にかけている、というより、政策として実現する能力に欠けている、と
思います。
 
派遣社員を切れなくすることについてもそうですし、家賃滞納者を賃貸物件から
退去させづらくする法案にしてもそうですが、一見、出口を閉めれば弱者を守る
ことが出来そうですが、それでは単に、入り口が閉ざされてしまう結果しか招き
ません。
 
派遣社員は雇わない、経済的に不安がありそうな人は入居させない、という
流動性の無い市場を作るだけです。
 
入り口の広さ、出口の広さ、落ちた後のセイフティーネットのバランスを整える
ことが政治の役割だと思います。
 
それに、弱者を救済しようとすれば、財源も社会的な受け皿も必要になります。
それは、言うまでも無くお金が掛かることであり、そのお金の出所は、多額の税金を
収める“経済的な強者”です。
 
強者を叩いたら、弱者に回すお金もなくなります。
 
政治に求められるのは、この経済的な強者を育てることも含めたバランス感覚です。
 
 
 
 
それから、嘘をつかない正直な政治家の集まりであるか、ということですが、
これも、
・秘書が業務上で犯罪を犯したら議員バッチをはずす → 党職すら辞めない
・天下りは認めない → 郵政公社などで天下り
・高速道路を無料化する → 実質値上げ
・普天間基地は最低でも県外移設 → ほぼ沖縄県内に決まりそう
などなど、挙げればきりが無いほど多くの嘘があります。
 
それも、実現できない約束をしてしまった、というものだけではなく、いつでも
履行しようと思えば出来ることすらしていない、というものです。
 
 
 
民主党が自民党よりマシだから、多少の害悪には目をつぶってでも民主党を
白紙委任で支持し続ける、というのはあまりに無謀な話だと思います。
 
前回書いた、クリーンなイメージを担当する若手と、その影で利権固めをする
権力者の構図も、盲目的に民主党を支持し続ける層が多い限り変わることは
ありません。
 
 
民主党を支持するにしても、どの部分を支持するのか、どの部分を批判するのか、
それは有権者として賢く声を上げるべきではないかと思います。
 
 
 
勢いですっごい偉そうなことを書いたところで、また続きにします。
 
 
 

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政治の話 senshu 2010-03-23T21:18:16+09:00
政権与党のやばさ http://www.hayakei.jp/senshu/archives/2010/03/post_314.html 前のエントリーの続きです。
 
 
日本政府のトップのやばさは前回触れました。
今回は、その政府を構成する政権与党の、特に幹事長のやばさについてです。
 
 
日本の行政権を持つ内閣は鳩山首相をトップとした閣僚で構成されています。
日本は議院内閣制ですので、立法権を持つ国会の多数会派がその内閣を構成
します。
 
現在は民主党、国民新党、社民党の連立政権です。
 
 
その最大与党の民主党は、政治的に清潔で新鮮だというイメージで、徐々に
議席を伸ばし、前回の選挙で、『一度やらせてみよう』という大きな民意を
得て、衆議院第一党に躍り出て、政権を持つに至りました。
『何かが変わる』という期待が形になった瞬間でした。
 
 
しかし、残念ながらそのイメージと実態では大きな乖離があります。
 
 
クリーンなイメージ、フレッシュなイメージの議員は衆議院に大勢誕生
しました。
でも、その裏にいたのは、ダークで旧態依然とした権力を持つ民主党の
小沢幹事長でした。
 
 
クリーンでフレッシュなイメージ担当と、実質的な権力の掌握者が別々に
存在する、という恐ろしい状態です。
どんなに清潔で新鮮な人員を国会に送り込んでも、その数が増えるほど
ダークで古い権力者の手駒の数が増えるだけ、という現状です。
 
 
それでも、国権の最高機関たる国会の議員が、その精神的な独立性を持って
個々の議員として自らの意見を言えれば、こんな状況では無くなるかも
しれません。
しかし、それは全く望めなくなってしまいました。
 
 
独裁者、という言葉がこれほどぴったりなのも珍しいかもしれません。
それも、ひとレベル熟成された独裁体制が醸成しつつあるように思われます。
 
 
先日の副幹事長解任や、横粂議員のインタビュー中断などでわかるように、
独裁者へ矛先を向けた人間に対する粛正や牽制を、周囲のものが自発的に
行っています。
 
独裁者が自ら怒鳴り散らして腕力を見せつけて支配する、なんてのはまだまだ
恐怖政治のうちには入りません。
 
本当に怖いのはその次の次の段階。
組織の構成員たちが、権力者の意をくんだ発言をするようになります。
それまでもテレビなどで発言してきていた若手の民主党議員などの、現在の
発言を聞いていると、本当にクリーンな政治を希求してきた人かと思うような
事が多いのは、このためでしょう。
 
 
次に、権力者に過度の畏怖心を抱き、権力者が望むことに自ら率先して手を
汚すようになります。
恐怖心から服従心が過度に強くなり、それを克服するために、権力者との
同化欲求が強くなった段階です。
民主党は、現在この段階にあると思っていいのではないかと思います。
 
ここまで来れば、周囲が勝手に粛正をすることにより権力者は自らの手を
汚したり、批判を受けたりするリスクが無くなります。
同時に、そうした構成員による自発的な粛正行為に対して、表向きたしなめる
態度を見せることにより、慈悲の顔を見せることが出来るようになります。
 
 
つまり、自らは何もする必要は無くなるのです。
周囲が勝手に粛正し、慈悲の心を見せる。恐怖と慈愛。飴と鞭。
何もリスクを負わず、苦労せず権力を維持することが出来る様になります。
 
 
自らが威圧し強権をふるう段階、つまり組織を支配する初期の段階では、
その暴力的な振る舞いの責任やリスクは自らに帰ってきます。
でも、この段階まで来るとその責任やリスクとは無縁です。
 
 
勘の良い方はもうお気づきだと思いますが、乱暴に言ってしまえば、もう
民主党の権力構造の『一部』は、カルト組織のそれに近い段階に移行
している、ということです。
 
 
それまでテレビでさんざんクリーンな政治などを訴えていた細野豪士議員
などが、まるでオウム真理教時代上祐史浩氏のように、言い訳と作為的な論点の
錯誤で批判をかわそうとしている姿にダブります。
すでに彼らが見ているのは世間や国民では無いため、どんなに世間には
受け入れられない理屈でも、当然のように言い切ってしまっています。
 
 
民主党の『一部』の権力構造と書いたのは、まだ組織全体まではそのヒエラルキーに
取り込まれていないと思われるからです。
宗教組織と政党組織は違うので、完全にカルト化するなんて事は無いでしょう。
 
でも、いま真っ当な民主党議員が、自らの意志で声を上げておかなければ、
例え小沢氏が失脚してカルト的な患部が取り除かれたとしても、そのときは
すでに世間からはそっぽを向かれてしまっています。
 
そうなったら、もう二度と元のイメージに戻ることが出来ません。
それは、単に民主党がだめになる、という話ではなく、国民にとって、
大きな損失になると思います。
 
民主党を支持する、支持しないに関わらず、『クリーンな政党』というのは
政治に掛ける純粋な理想的存在であり、希望であると思うのです。
 
国民が期待する『クリーンな政党』というものが幻だった、幻想だったという
結果になるならば、それは民主党が長期的に権勢を維持しようが、崩壊しようが、
国民の大きな落胆、政治に対する幻滅につながります。
 
 
 
私は元々民主党支持者ではなく(二大政党制支持者です)、政権担当能力が
ない政党が与党になるのはあまり望んでいなかったのですが、まさかここまで
ひどいとは思っていませんでした。
一部の権力者が大きな力を得るだろうなとは思っていましたが、まさかこんなに
若手が従順に手駒化して、恐怖政治の完成に向けて自発的な動きをするとは
思っていませんでした。
 
 
長くなりましたのでまた続きにします。
 

 
 

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政治の話 senshu 2010-03-22T11:29:16+09:00
日本は本当にそろそろやばいかもしれない http://www.hayakei.jp/senshu/archives/2010/03/post_313.html 政権交代から今まで、わりと直接的な表現を避けて、政治への批判めいたものを
書いていましたが、、、
そろそろそんな状況じゃ無くなってきたかもしれません。
民主党政権、本当にやばいです。
 
じゃあ自民党政権がすばらしくてそっちの味方をするのか!というと、
そういう問題ではなく、イデオロギーの問題でもないですし、あっちがむかつく
からこっち、という問題でもありません。
 
ただ本当に、民主党政権は危険です。自民党の腐敗や癒着はひどかったですが、
それとは質が違うやばさがあります。
 
 
こんな小さなブログで書いたところでどう変わるというものでも無いのですが、
いままで溜め込んでたものを、しばらく書き殴ろうと思います。
 
 
 
まず最初に、日本人は現在、誰も自分たちの事を守ってもらえないし、
相対的にひどく損をさせられる状況にあります。
守ってもらえなかったり損をさせられる程度ならまだいいのかもしれませんが、
自分たちの骨身を削らされて、他国や他人のために、じわりと将来を奪われ、
辛苦を味あわされる状態にあると言っても言い過ぎでは無いかもしれません。
 
 
その理由は、現在日本には、日本人には、その安全と利益を代表してくれる
代表者がいないからです。
 
本来であれば、言うまでもなく、鳩山総理のはずです。
 
 
人類愛、全地球愛、隣人愛、それはとても結構な事だと思います。
 
が、、、
日本人と日本国の代表という立場においては、完全に日本人と日本国の
利益と安全の代表でいてもらわなければ困るのです。
米国には米国人と米国の安全と利益を代表する大統領がいますし、中国には
中国人と中国の安全と利益を代表する中国共産党総書記がいます。
 
彼らは常に、自分の国の安全と利益を最優先します。
地球的な問題でも、国際市場での他国との争いでも、領土問題でも、軍事でも、
常に、自国の利益と安全を最優先して行動します。
 
それは、自国と自国民のトップであり、その利益を代表するものだから
当たり前の事です。
 
 
でも、日本には残念ながらその人がいません。
 
 
『日本は日本人だけのものではない』『人類がいないのが一番の環境対策』と
発言してしまう人を、本来は日本を守り、国民を守るべき人がいなければ
ならないポジションに据えてしまっています。
 
 
これは、イデオロギーや考え方、あるいは愛情や人間性の問題ではありません。
 
自分の『立場』を認識して、求められる振る舞いが出来るかどうか、という
『能力』の問題です。
今の日本の代表には、その『能力』が決定的に不足しています。
 
 
 
愛情があることはすばらしいじゃないか、他人を思いやるのはすばらしい
じゃないか、という考えもあるかもしれません。
それはその通りだと思います。
でもそれは、責任を持って守るべきものを守れた上での話です。
 
 
家庭における親も、会社における社長も、まずは最大限、自分の身内を
守ることが仕事です。
 
その認識無く、家庭や会社を崩壊させて愛を説くのは無責任極まりない
話です。
 
 
 
『じゃあ今までの総理大臣はみんな国民の事を第一に考えていたのか?』
あるいは
『自分の利益より国民の利益を最優先したのか?』という意見もあるでしょう。
 
いままでさんざん腐敗と汚職を重ねてきた自民党政権ですから、そんな
思いは当然だと思います。
 
が、いえるのは、
 
『少なくとも自分の立場は認識していた』ということです。
 
決して自民党擁護でいうわけではありません。
だからこそ、自民党時代とは異質なやばさだ、ということです。
 
 
 
トップに自分の立場すら認識できない人をすげて、実質的な権力者が
何をやっているか。
単に業界から裏金をもらっている、なんていう話ではありません。
ここにこそ自民党時代と異質な危険があります。
 
長くなりそうなので続きは次に書きます。
 
 


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政治の話 senshu 2010-03-20T17:39:30+09:00
右派vs左派は紅白戦? の続き http://www.hayakei.jp/senshu/archives/2010/03/vs.html それで、行き着くところ、自己矛盾への悶絶と、紅白戦としての罵り合いです。
 
 
あっちの裏金は悪い裏金。こっちの裏金は仕方の無い裏金。
あっちの癒着は悪い癒着。こっちの癒着は国民のための癒着。
あっちの変節は悪い変節。こっちの変節は良い路線変更。
 
 
このあたりの心理がよくわからないのですが、本来は自分や社会の経済や
生活などが良くなることを、政治に望むはずですよね。
 
でも、なぜかこの紅白戦に入ると、自分が拠り所としている勢力が勝つ事が
目的のようになってしまっています。
その間にも、自身の社会保障は削られ、財政の無駄が膨らんだとしても、
まるで自己犠牲の精神で耐えることが良いことであり、自己の拠り所と
する勢力を応援することの様な感じです。
 
 
前にも書きましたが、『嫌悪や憎しみという感情』は、人を操ろうとしている人にとっては、
とっても勝手のいい感情なんですよね。
 
何かに対する嫌悪感や憎しみを煽って、自己の勢力に引き入れる、というのは
とても簡単なことで、嫌悪や憎しみの感情を煽られることがあったら、ちょっと
冷静に、俯瞰的に物事を見てみないと、簡単に他人に利用されてしまいます。
 
 
 
同時に、本来の目的を忘れ、『敵の敵(=味方。心の拠り所)』を勝たせる
ことが、目的化してしまいます。
 
まさに思考停止状態ですよね。
 
 
 
 
今回の政権交代は、この典型的な弊害が出ているような気がします。
 
前政権を否定する事を『善』として政権交代が起こったのはいいですが、
その結果、単に前政権と逆の事をすれば『善』とされ、本当の国民の利益は
どんどん毀損されていきます。
 
政策のひとつひとつに目を向けて、良いものは良い、悪いものは悪いと個別に
判断する目を持たなければ、残るのは傷跡だけになってしまいます。
 
 
・・・って書こうと思ってたんですが、もうすでに傷だらけになってしまって、
すっかり時事ネタでは無くなってしまいましたね。。。
 
 

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ゆるい話 senshu 2010-03-17T13:27:12+09:00
右派vs左派は紅白戦?イデオロギーは思考停止? http://www.hayakei.jp/senshu/archives/2010/03/vsvs.html 以前からイデオロギー的な視点からの物事の善悪判断が嫌いということは
ここでも何度か書いていますが、そうした議論を見たり読んだりするのは
好きだったので、ネット上のこうした議論を結構楽しんでいました。
 
 
が、、、
 
 
なんだか楽しかったのは最初だけで、その形式的な思考方法が見えてくると、
全然面白くなくなってしまいました。
 
表面的には、『自民党が国を悪くした』とか『民主党が嘘をついた』とか、
『不貞外国人を排斥せよ』とか、事件や政治的な動きが起こるたびにその事象に
反応して相手方を批判するのですが、だんだんその主張がおかしくなってきます。
 
 
だんだん、というのはこういうことです。
当然に、物事にも人にも善悪が共存していて、良い部分と悪い部分があります。
でもこの場合、『悪』と決めつけたものに対する憎悪や妬みで、それと敵対
するものを『善』と決めつけ自分の心のよりどころとして出発するため、
最初のうちは、『悪』の側の悪い部分だけたたき、『善』の側の良い部分だけ
賛美していれば足ります。
 
ポイントは、まず間違いなく『悪』に対する嫌悪、憎悪、妬みなどから始まる
ということです。
自分の理想をかなえるために『善』を選択してから始まるのではなく、『悪』
に対する裏返しとして、時にはこじつけに近い理屈で『善』を選びます。
 
 
この、『悪』に対する嫌悪も、かなり多くの場合、自己への不満をいびつな
形で他者に投影したものです。
そこに正義感を結びつけ、拠り所として『善』の存在を信じ込み、思考停止
すればイデオロギーの完成、という感じではないでしょうか。
 
 
ただもちろん、『善』だと思っている側にも正しくない側面が必ずあります。
政治、国家、企業、軍事、慈善事業、宗教などなど、人が心の支えとしがちな
どれをとっても、必ず善悪の側面を持っています。
 
 
 
でも、一度『善』と心に定めたものを否定するのは、『悪』に荷担するものと
なるため、批判や否定が出来ません。
 
なぜなら、出発点が「自己の理想のために必要な存在としての『善』」を
選んだわけではなく、憎らしい『悪』を叩くための『敵の敵』として選んだ
だけだからです。
 
 
長くなりそうなのでまた続けます。

 
 
 


 

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ゆるい話 senshu 2010-03-06T13:16:03+09:00
追い出し規制法案は今の政権の危うさの一端 http://www.hayakei.jp/senshu/archives/2010/02/post_312.html 賃貸中の家賃が支払われない場合の賃借人の追い出しを規制する、いわゆる
追い出し規制法案が閣議決定されたようです。
 
国会で成立すれば、早期に施行されるようです。
 
 
これは、現政権が持つ危うさの一端を見事に表していると思います。
一見、弱者に優しく見えますが、そんな効果は全くない上に、貧富の差を
拡大させ、さらに大きな弊害を生みます。
 
 
まず、追い出しが規制されることにより、救われる“弱者”は、現在賃貸契約を
行っている、現入居者だけです。
つまり、一時的な効果しかありません。
 
なぜなら、賃貸する側にとって、出口(賃貸契約解約時)に大きなリスクが
あるなら、入口(賃貸契約時)にリスクマネジメントをするしか無くなります。
 
つまり、トラブルになりそうな人とは契約しないし、契約するにしても、
大きな担保を必要とするようになるだけです。
 
 
現在、家賃の不払いで賃貸借契約を解除しようと訴訟を起こした場合、最短
でも6ヶ月程度期間が必要です。
2ヶ月間家賃の入金が滞ってから訴訟を起こすと仮定すると、8ヶ月間、
未入金の期間が出来ることになります。
 
 
そうであれば、相応の保証金(敷金)を用意できるか、あるいは複数の
連帯保証人を用意できる人でなければ貸さない、というところが増えてくる
でしょう。
 
特に、質が良い物件ほど保証を必要とする傾向が強くなり、それでは部屋を
埋める事が出来ない物件は、コストを下げるために質を落とすでしょう。
 
持てるものと、持たざるものの格差を広げ、二極化が進むことになります。
 
 
また、賃借人のモラルの崩壊が、この傾向に拍車をかけることになるでしょう。
どうせ追い出されない、そう確信犯的に無賃で居座る賃借人は、審査の緩い
物件に集まり、賃貸の経営者にもこの呪縛から抜け出せない“負け組”を生みます。
 
 
 
追い出す方を一方的に“悪質”と決めつけていますが、これは国の無策のスケープ
ゴートにされているに過ぎません。
 
本来無宿人の救済は、国や地方自治体の役割のはずで、賃貸経営者の仕事では
ありません。
 
 
現政権の危うさ、とは、まるでこの問題を、“弱者と強者”とか、
“持てるものと持たざるもの”、もっと言えば“お金持ちとかわいそうな人”という
構図にすり替えている点です。
もしかしたら、福島瑞穂社民党党首を始め、政権の人は本当にそういう問題だと
思ってしまっているのかもしれません。それこそ大問題ですが・・・
 
 
賃貸経営というのは、現在の日本の社会の基本的仕組みに則って行われて
います。
資本主義の社会は、資金を使って、経営計画を立てて、収益を上げて
成り立っています。
 
 
不動産業だろうが飲食業だろうが、IT関連企業だろうが同じで、資金や経費
から収益が生まれれば経営は回りますし、収入が滞れば破綻します。
 
減価償却の終わっていないマンションなどからの年間の収益は、良くても
初期費用の10~20%程度です。
維持管理費、修繕費、借り入れた元金の支払いなど、毎月必要な費用は
賃貸収入でまかなわれていますので、経営規模によっては数件無賃で
居座られただけですぐに資金繰りが行き詰まり、破綻します。
 
 
住居を供給するものに社会的責任を負わせるなら、それに見合う
“経済的利益を守る手段”を与えてあげなければいけません。
 
 
 
例えばスーパーに行って、
『いつもここで食料品を買っていたけどお金が無くなったら今日から
 タダでもらっていくよ』
と言っても、スーパーはものをくれないし、そんなことをしていたらすぐに
スーパーが破綻してしまうのと一緒です。
 
これでは収支計画に基づく正常な経済活動が出来ません。
正常な経済活動が出来ない“異常な状態”は、企業を破綻させて失業者を増やし
たり、景気を悪化させたりするだけです。
 
 
この法律は、
・元手が無い人ほど賃貸物件を借りにくくする
・賃貸物件の二極化を進め貧富の差を拡大する
・不動産経営を不安定にし、不動産業者の経営破綻を招く
という“効果”しかありません。
結果、家を借りられないものが定職に就くのも難しくなり、ますます
“一度落ちたもの”が這い上がれない社会を作ったり、不動産賃貸事業を停滞
させ、経済を悪化させたり、不動産事業者の破綻を招き、失業者を増やし
たり、ということになるでしょう。
 
 
 
こうした法律を為政者が責任を持って制定するなら、
・入金が滞ってから強制的に退去させられるまでの期限を明確に定める
・強制退去後のセイフティネットを整備する
・未入金期間の債権債務の扱いを明確にする
という規定までをセットにしなければならないでしょう。
 
 
派遣労働者を一方的に保護したら、派遣の職すら無くなってしまった、
という笑えない話の二の舞にならなければいいなと思います。
  
 
 
 

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ゆるい話 senshu 2010-02-25T14:50:16+09:00
人間の体に“腰”という部位は無い!? http://www.hayakei.jp/senshu/archives/2010/02/post_311.html 30代半ばでドラムを始めてはまりまくっていますが、、、
 
 
ドラムをやってみて一番良かったことの一つは、自分の体にちゃんと向き合う
ようになったことです。
 
生まれてこの方ずっと猫背で、歩き方が不格好だったのも、ちょっとずつ
直ってきました。
 
 
ドラムは結構激しく体を動かすため、ちゃんと体の構造を把握し、その上で
正しい動かし方を理解しなければ、すぐに体をこわしてしまいます。
幸いにもその事を最初に強く教えられていたため、練習を進める時は体の
痛みや筋肉の張りに注意しながら、少しでも違和感があれば練習方法を
見直して、ということが出来ました。
 
 
体の構造について、びっくりしたことがいくつかあります。
 
・『手のひら』という骨格は無い。手首から先はすべて指で、手のひらは
 指の集合体になっている。
 
・膝の曲がる部分は、前後の中心部分ではなく、後ろ(膝の裏)寄り
・肩は体の両端に付いているわけではなく、体の中心部分から複数の骨に
 支えられて左右に伸びている。その先に腕が付いている。
 (ちょうど車のサスペンションのダブルウィッシュボーンや
  マルチリンクのような構造)

などなど。
中でも一番びっくりしたのは、タイトルの通り、
・人間の体に、『腰』という部分は無い。腰とは文化的な産物
というものです。
 
 
そういわれて改めてお辞儀やをしてみるとわかるのですが、実際に曲がって
いるのは、『足の付け根』です。
(これもびっくりなのですが)骨盤から伸びる『脚』は、骨盤に対して
垂直に刺さっている訳ではなく、

┌ ┐ 
│ │

こんな感じでアーチ状に左右の脚が付いています。
この付け根と体の接続部分が大きく稼動してお辞儀をしたり出来るんですね。
 
その上にあるのは、あくまで30個ほどの骨がつながった『脊椎』いわゆる
背骨です。
 
便宜的に、上から頸椎、胸椎、腰椎などなどと分けていますが、本来は
30の骨がすべて一体となってしなったり伸びたりねじれたりして、必要な
姿勢や体の動きを作り出しています。
 
 
これを、『腰』という蝶番のような折れ曲がる可動部分があると思い込んで
体を動かすから、本来30個ほどで作るはずの曲げ角を、『腰』に当たる
5~6個の部分で折り曲げようとするため、その部分に大きな無理が掛かり、
『腰を痛める』という状態になるんだそうです。
 
体を曲げるとき、
 
『大きな曲げ角は脚の付け根で、そこから上は腰から首まで30個の骨
 全部を使って、しなやかにバランスを取るように曲げる』
 という意識をするだけで、ずいぶん楽に体を動かすことが出来る様になります。
 
体を伸ばすときもまた同様です。
 
 
昔から姿勢が悪かったり、歩き方がおかしかったのを、何度か矯正しようと
しましたが、失敗してきました。
 
それもそのはず、姿勢とか歩き方とかは、体を“どう動かすか”という話で、
その前提となるはずの、動かす“体の作り”を間違えて把握していたわけです
から、正しい動かし方が出来るはずもありません。
 
姿勢を正すにしても、『腰をそらせるように伸ばす』とか、『背中を後ろに
引っ張られるように』と言われても、頭の中に“腰”という可動部分があると
思い込んでいたり、腕の位置と背骨の接続関係が理解できていなかったり
したら、その言葉の再現を体で行う時点で、間違った箇所に力を入れて
しまっても当然かもしれません。
 
でも、首から脚の付け根までの骨の構造を理解し、理にかなった筋肉の
動かし方を学べば、無理なく、楽に理想的な姿勢をとることができます。
 
 
 
自分の体の構造を知る、というのは、ドラムの練習に限らず、どんな楽器を
演奏するにしても、ダンスや演技をするにしても役に立ちます。
何より日常生活において、とても力強い助けになると思います。
 
腰を痛めず、手首を痛めず、脚を痛めず神経を痛めずに、楽に体を動かし、
元気で有り続けるために、必須の知識かもしれません。
 
 
ということで、興味のある方は是非研究してみてください。
 

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ゆるい話 senshu 2010-02-16T09:45:32+09:00
食あたりました! http://www.hayakei.jp/senshu/archives/2010/02/post_310.html 一昨日から、食あたりでダウン気味でした。
 
 
一昨日の昼に友人が事務所に遊びに来たため、昼食を一緒に摂ったのですが、
近所のこってりしたラーメン屋さんに入ったのがいけませんでした。
 
 
普段は脂っこいラーメンは油を少なめにしてもらったり、あまり油の部分は
飲まないようにしているのですが、昨日は友人と会話しながら食べていたので
ついつい無意識に結構油っぽいスープを飲んでいたみたいで・・・
油にやられましたね。
 
 
食事してから何時間たってもお腹が張ったような感じが抜けず・・・
ついに夕方頃から○きはじめ・・・
 
夜には熱が出て寒気が止まらず、次の日(昨日)には落ち着いたものの、
まだ体調が優れずに、どうしても行かなければならない先には車で移動
して、なんとか乗り切りました。
 
 
今日もまだ雑炊のようなものしか食べられませんが、それ以外の体調は
ほぼ元に戻りました。
 
 
ということで、今日から通常通り働いていますが、元々胃腸が強い方では
ないので、油には気をつけようと。
 
 
 
・・・いちどラーメン二郎に行ってみたいなぁ。。。
 
 
 
 

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ゆるい話 senshu 2010-02-03T10:53:22+09:00
コストと完成度とコンセプト http://www.hayakei.jp/senshu/archives/2010/01/post_309.html このエントリーを見て笑っている人が一人いると思いますが(笑)
 
 
 
何かを作るとき、それがデジタルコンテンツであっても、リアルな造作物であっても、
完成度とコストのバランスは、その案件の収益性を考慮してしっかりと決めていか
なければなりません。
 
良いものを作りたいのは確かなのですが、コスト倒れしてしまっては本末転倒です。
 
 
常々、コストと、作品の完成度の関係はこんな感じかなと思っています。
 
 
4┬─100%
-│
3│
-│
2┼─90%
-│
1┼─70%
-│
0┴─0%

1のコストで、完成度が70%ぐらいの作品が作れます。
ここでいう完成度というのは、制作の途中という意味ではなく、クリエイターとして
作り上げたい完全な姿にたいして、どの程度近づいたか、ということです。
完成度70%ということは、7割がた満足だけど、3割ぐらいは妥協している、という
イメージです。
 
細部の造作を簡略化したり、材質や部品を普及品に落としたり、という感じで、
機能としては100%まで完成しています。
 
 
これを、90%まで高めようとすると、大体倍はかかります。
100%満足いく作品に仕上げようとすると、70%で妥協する場合の4倍以上は
かかるイメージです。
 
それを超えて120%とか目指し始めると、予算の天井は突き抜け、納期も定まらない
ことになってしまいます。
 
 
よく、家庭用のゲームでも、大作と言われるゲームシリーズの発売日が定まらなく
なったり、200万本売れてもまだコストが回収できないなどと言われることがあるのは
こういうバランスを欠いているという場合があるのです。
 
ディレクターのこだわりが微に入り細に渡ることは大切なことですが、果たして
それを、どこまでコストのかかる作業や素材の仕様にまで反映させてしまって
いいのかは、別問題です。
 
 
別の側面で言えば、こうとも言えます。
 
 
4┬─芸術品
-│
3│
-│
2┼─プロダクトアウト・ビジネス
-│
1┼─マーケットイン・ビジネス
-│
0┴
 
 
マーケットインで行なうビジネスであれば、基本的には市場で形成されたコスト
相場の中で商品を提供すれば足ります。
 
作者の発想から作った商品を市場に投入するプロダクトアウト型のビジネスに
なると、市場に認知されていないものを買わせるだけの動機付けや商品力が
必要になるため、コストは跳ね上がります。
 
それを突き詰めたものは芸術品になり、採算やコストなど度外視、さらに、
売れるも売れないも関係なくなります。
 
 
 
例えば、有名な陶磁器の窯元であっても、芸術作品だけで行き続けているわけでは
ありません。コストとクオリティのバランスが取れた市販品があり、それが収益の
基礎になっています。
 
人形作家でも、鎌倉彫の彫師でも、スタジオミュージシャンでもそれは変わりません。
 
 
 
 
こだわりという考えが、ある部分で硬直化すると、このバランスを見失うことが
あります。
・・・というか、私はこの傾向が非常に強くあります。
 
 
なので、思いっきり発想を膨らませた後は、市場と、手元にあるリソースを良く
見つめなおした上で、実際に動かす計画をゼロから考えなければなりません。
 
コンセプトカーだって、そのまま市場に出てくるわけでは無いですからねー
 

 

 

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会社経営 senshu 2010-01-30T12:26:58+09:00
くだらない雑誌を定期購読してみよう! http://www.hayakei.jp/senshu/archives/2010/01/post_308.html という、なんともくだらない思いつきで、半年ほど前からやっていました。
絶対に書店では手に取らない雑誌『BUBUKA』の定期購読。半年間。
 
 
 
本当に、見事なほど、うそだろ~と思うほど、何の為にもなりませんでしたねー。
どうでもいいような芸能人のゴシップ、嘘か本当かわからない○○業界の裏情報、
グラビア、風俗、出会い系の広告…
 
 
唯一というか、二つだけ、ちょっと読んでいて面白かったのは、田代まさしが
書いている対談ものと、梶原一騎の弟さんが書いているコラムのような
ものでしたが、これも、読んでいる間は「ふ~ん」とは思いますが、どんな
雑誌にもあるちょっとした対談やコラムものと同じような感じですので、
軽い読み物、という感じです。
 
 
 
で、なんでそんなことを思い立ったかというと、『文春と新潮以外は全部やばい』
と言われる、不況真っ只中の雑誌業界にあって、独自路線で経済活動を続け
ることが出来ている、こうしたネタ誌のようなものってどういう魅力が
あるんだろう、という疑問があったからです。
 
結論としては、わかりませんでした。
内容がわからない、といよりは、グラビアにしてもゴシップ情報にしても、
インターネット上に転がっているものに比較して特に秀逸なわけでも
無いように思われましたし、毎月決まって書店で手にとって購入する、という
作業を購読者に促すほどのものでも無いような気がします。
 
 
が、、、
 
何かあるのでしょう。。
買わずにはいられない魅力が。。。
 
 
そういうポイントを理解するために、次は『サイゾー』か、思い切って
『ムー』あたりを定期購読してみようかなぁ。。。

 
 
 
 
 


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ゆるい話 senshu 2010-01-29T10:42:02+09:00
スポーツや演奏の上達のコツがわかった! http://www.hayakei.jp/senshu/archives/2010/01/post_307.html ほんとかよと・・・
久々に更新したと思ったらなに戯言を書いてるんだと・・・
 
 
 
でもたぶん、これを意識すれば以前よりはだいぶいろんなものの上達が
早くなるのではないかと。。
 
 
スポーツにしろ、楽器の演奏にしろ、『自然体であること』や
『余計な力を入れない』ことなどがうまくなる方法だと言われています。
 
逆に言えば、不自然な動作や筋肉の余計な緊張があればあるほど、物事が
上達しにくい、ということですよね。
 
 
これは以前から自分なりには、
『脳にその動作を担当する部分が出来るまではひたすら反復練習』という
感じで解釈していました。
 
以前ネット上でちょっと流行った『走るゲーム(解説)』を試しにやってみていただくと、
言わんとしていることがおわかりいただけると思いますが、人間は普通に
歩くだけでも、股関節、膝、足首、足指の各関節を、たくさんの筋肉を
縮ませたりのばしたりしながら行っているわけです。
 
これを、各部位の曲げ伸ばしを意識しながら行っていたら、まず出来ません。
が、繰り返すことによって、脳のどっかが覚えてくれて、意識せずとも
その行為の基本的な制御を担ってくれているわけです。
 
コンピューターで言えば、演算処理を行うCPU意外にも、グラフィックに
特化した演算を行うGPUがあったり、記録メディアの処理に特化したSCSI
のチップがあったり、という感じで、メインのところからは『歩くよ』という
指示を出すだけで、あとの処理を担当してくれるところです。
 
 
 
で、これが身につくことが『自然体』の正体だと思っていたのですが、よく
考えるとこれでは片手落ちですよね。
処理の『方法』はこれでいいかもしれませんが、処理の『内容』について、
ちょっと説得力がありません。
間違った動作を覚えてしまったら、それはずっとその動作を続けてしまう
事になるわけです。
 
 
こんかい『コツがわかった!』と、調子に乗って言っているのは、その動作
の基本的な手法の部分です。
 
 
いいですか?
 
これを聞くといろんな事が上達しますよ!(調子に乗りすぎ!)
 
 
 
最近ちょっと一生懸命練習しているドラムに例えて言います。
まず、一つの動作において、体中の出来るだけ多くの部分を動かすこと。
 
例えば、ドラムを叩くのであれば、肘から振り下ろして叩く、とか、
手首を伸ばして叩く、という考えは綺麗さっぱり捨てて、腕全体が動く
事を意識すること。
 
その『動く』力は、出来るだけ体の中心に近いところから発生させること。
 
つまり、腕全体が動く、というのは、腕の各部位の筋肉を緊張させる、
というよりは、全部をぶらぶらにして、肩をとおして伝わってくる胴体の
動きを妨げることなく伝える、という感じ。
 
その上で、スティックの移動や軌道修正など、細かい制御を腕の各部位を
それぞれ最小限に動かして行うこと。
なので、スティックを打面にあてるときも、手首が反ったりひねったり
している訳ではなく、指の動き、手首、肘の回転、肘の屈伸、肩の回転、肩の屈伸
などなどがそれぞれ最小限におこっているような感じです。
 
 
それから、意外かもしれませんが、ドラムで言えばスティックのような、
体の延長のような道具を、『体の一部にしない』というのも重要です。
 
よく『手の延長』と言われるスティックですが、決して手の延長では
ありません。
あれだけの堅いものを、手の延長のように振り回して反動を受け止めて
いたら、まめが出来たり関節を痛めて腱鞘炎になってしまったりします。
 
なので、たとえて言うなら
『手の先(体)と打面の間で自由に跳ね回っているボールのようなもの』
という感じかもしれません。
 
バスケで言えば手と床の間のバスケットボールですね。
あくまで別の物体として自由に飛び跳ねて、手や体の動きはそれを、
自由に操るかのように制御します。
 
 
 
 
なんて事に行き着いたのは、実はドラムの練習中に壁にぶち当たると
ネットでいろいろ調べ物をして、なるほどーと思えるサイトに行きついた
からだったりします。
そこで得たこととと、今までの疑問を総合すると、こんな感じになりました。
 
 
ドラムの学校が開設しているサイトですが、興味のある方はご覧ください。
どんな楽器や体の動かし方にも応用できそうなヒントがたくさんありますよ。
 
 
 


 

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ゆるい話 senshu 2010-01-21T09:54:23+09:00